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2008年 06月 24日

Pugliaを思い出す その3 Mimino

ミミーノは、Marioの親友です。
MonopoliにMarioが戻ると、しょっちゅう家にやってきて、おしゃべりしていました。

Pugliaを思い出す その3 Mimino_d0117481_095845.jpg

この日もやってきて、私がお土産に持って行った、ソラマメを揚げたおつまみを「Buono おいしい」といくつも食べていました。

姉が訳してくれたのを私なりに解釈したり、8年前のことなのでそこのとこご容赦。

以下はミミーノの、映画の「ひまわり」を地でいくようなお話です。

ミミーノは、第二次世界大戦で日独伊の三国同盟を結んだイタリアが、ドイツのポーランドやソ連侵攻に参戦するため、多くの軍隊を送り込んだ兵隊の一人でした。
そこで負傷し、長い間ドイツの病院に入っていました。
ミミーノはこの病院の看護婦と恋に落ちてしまったのです。

やがてイタリアは連合軍に降伏し、ドイツも降伏したので、ミミーノは故国に戻らねばなりません。イタリアでは奥さんが待っていました。
それから、クリスマスになるとドイツの彼女からカードが届きました。
毎年、毎年、クリスマスカードは届いたのだそうです。

しかし、私たちが訪れてこの話を聞いた前の年のクリスマスには、初めてカードが届かなかったのだそうです。
何故か?
彼は “もしかしたら病気か何か” と。
しかし、彼は尋ねることはしなかったのです。

この話を聞いたのが2000年ですから、およそ50年続いたカードのみの繋がりだったのですね。

そのミミーノも昨年亡くなったと姉から聞きました。

今年はMarioも寂しいことでしょう。

by yumiyane | 2008-06-24 00:35 | 旅(travel) | Trackback | Comments(6)
Commented by snowy_opal at 2008-06-24 10:34
いいお話ですね。カードだけで50年・・・結ばれる恋より、結ばれない恋の方が時に浪漫が残りますね。yumiさんのお話は、時々、須賀 敦子さんの著書を思わせるな。視点がよく似ているような気がします。本をお書きになれば面白ろそうだな~と思って読んでいます。
Commented by yumiyane at 2008-06-24 14:32
須賀さんと言えば、ミラノに最初に彼女が行ったころの話がありますが、姉も同じような経験をローマでしていて、なんかダブルんです。
あのころヨーロッパに行った方々はみな苦労や努力をしていらっしゃいます。
それに比べれば私なんて、呑気な旅行者ですよ。
Commented by mai-obachan at 2008-06-25 02:49
街ですれ違う普通の人たちひとりひとりが、映画や小説に負けない
ロマンチックなストーリーを抱えているんですよね。
Commented by shinn-lily at 2008-06-25 06:12
ミミーノにお会いできるのかと読み進めていったら、残念・・・。
そのようなクリスマスカードを受け取りながらすごしてきた人生、
生きていくことが意義深く
その中にいろいろな方たちの思いを感じます。
Commented by yumiyane at 2008-06-25 17:29
maiさん、人は誰でも多かれ少なかれ語るものを持っていますよね。
私の父は、晩年にラビドEikichiというエッセイを書いて子どもたちに配りました。
自分が生まれてから、5人の子どもを設けるまでのところで終わっていますが、大正、昭和の普通の田舎の生活ですが、身内には面白い話でした。続編を期待していましたが、残念です。
Commented by yumiyane at 2008-06-25 17:32
shinn-lilyさん、ミミーノはとても物静かな男性でしたよ。
そんなドラマを秘めているとは思いませんでしたが、口数が少ない男はもてるんですよね。
少し前の戦争を体験した人たちには、この平和なくらしで、のほほんとしている私たちの想像を超えたものが、何かしら秘められていると思います。


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