ブルガリアについて、行ってみるまで何も知らなかったなあと思いました。
そこにはやはり、ローマがありました。
これはカザンラクという町にある、世界遺産の遺跡の天井画です。
ロシアとトルコとの関係も、全然知りませんでした。
トルコが攻め入って、ブルガリアの農民たちが立ち上がって戦ったこと、それを指導した青年が英雄になって田舎の町の教会に奉られていること。写真はその教会の前で説明をしてくれた係りの女性。英語が堪能でよく分かりました。
そのトルコとの戦いに、ロシアが援助してくれて、多くのロシアの若い兵士たちが戦死しました。その死を弔うためのロシア正教会の建物をよく見かけました。ロシア正教会と分かるのは、十字架の下の方に、もう一本斜めに木があって、それがキリストの磔刑の際の足置きの木だということ。
この戦いの借りが、のちのブルガリアが長い間ロシアの勢力下に置かれるという宿命を負ってしまったのでしょう。
地方にはところどころに大きな建物が廃墟になって、社会主義時代の遺物となっていました。国のあちこちで、道路工事が盛んに行われていました。雨の多いところで、ウィーンから飛んだときも、ブルガリア方面で盛んに雷がなっていました。私が滞在しているときも、夜になると雨が降り、一時的な洪水になって、道路が寸断していました。もうあと3~4年もすれば、ブルガリアは観光するのにとてもいい国になっていると思われます。パンも食事もおいしいし、人もとても親切。一番最後までロシアの支配下にいたのだけれど、人々のこころは自由主義と感じました。