にっと&かふぇ

knitcafe.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2010年 05月 09日

体験学習 in 山古志 その4 地震の爪あと

2004年10月23日 午後17時56分 新潟県中越地方をM6.8の地震が襲いました。

震源は川口町、山古志村から南西に山を越えたところ、山古志村は震度6強でした。

あれから5年半、みなさんの復興にかける願いは大変なものだったと思われます。
新幹線、道路、その他インフラ、
観光客として訪れれば、もうどこにもその影響はない、と言えます。
しかし、みなさんの記憶には、なお生々しいものが残っていました。


山古志に住む友人のお父さんは、地震の5年前まで村の村長をしていました。
在任中の仕事のひとつに水道を引く、ということがありました。
盆地になっていて、山に沿ってできている集落全戸に水道をひくことは、大変な仕事だったと想像できます。
この仕事を率先して取り組んでいた若者がいました。
村役場に就職して最初に取り組んだ仕事がこの水道整備でした。
やっとの思いで完成した直後、地震が襲い、殆どの水道管がずたずたに切り裂かれたのです。

2ヶ月後、新聞に載ったのは、
長岡市(旧山古志村)の32歳男性が、地震による疲労が原因と思われる交通事故で死亡

あのころ、毎日伝えられる地震のニュースでは、この事故のことは伝わって来ませんでした。
地震の直後から、村の復興を目指して頑張っていた若者は、孤立無援の状況に半ば絶望していたというのです。
先の法要で、母親から渡された、この若者が生前友達に送った数々のメールに、悲惨な現状に対する努力と絶望が同居した複雑な心境が綴られているのを見て、元村長は涙したそうです。


虫亀地区は比較的損傷が少なかったものの、交通が遮断され、情報が全く入ってこなくなったとき、村民はヘリで救出されました。
友人もそのヘリから村を、山を見て、その悲惨な状況に驚いたのだそうです。
以下の写真は、今月5日のもの。
体験学習 in 山古志 その4 地震の爪あと_d0117481_16595256.jpg

大きな家は、三階建てで、1階部分は埋もれています。

山崩れの激しい地域、削られた山肌は、断層が露わになっていて、このあたりの地盤がかつての地殻変動の影響を大きく受けていたことを物語っています。
体験学習 in 山古志 その4 地震の爪あと_d0117481_170457.jpg

土砂崩れによって堰きとめられた水が、池を作ったまま5年経ちました。
体験学習 in 山古志 その4 地震の爪あと_d0117481_1701710.jpg

建てたばかりの家は、土砂に埋もれて、まるで川の中に建てたように見えます。
体験学習 in 山古志 その4 地震の爪あと_d0117481_1702911.jpg

新しい道は土砂の流れを川にして橋を掛けました。

長岡市の駅付近にあった仮設住宅地は、すっかり元の空き地になって、山古志あたりの道路も回復しています。
復興をかかげ、山古志に帰ろう!を合言葉に、今は殆どの人々が村に戻っているそうです。

地震の爪あとは、まだまだ残っているけれど、人間の、“回復させる力”は素晴らしいことに驚嘆しました。


山崩れの少ない虫亀地区に立てられたお願いの看板

「山菜も復興中です」 

に、少し胸が痛くなりました。

山古志ホームページ


マリと子犬の物語



映画にもなったこの犬の話を私は知りませんでした。
東京から一緒に行った友人が、知り合いが作った映画だ、ということで、是非その犬に会いたいと言いました。
体験学習 in 山古志 その4 地震の爪あと_d0117481_19545783.jpg

捨て犬を拾った五十嵐家の子どもは、マリと名前を付けて一緒に暮らし始めました。
しばらくたった10月23日の朝、マリは子どもを3匹産んだのです。

その日の夕方、地震が発生。
倒壊した家の下敷きになったおじいさんと孫を、マリは勇気づけ、自衛隊が救助に来た時に知らせたのだそうです。
しかし、ヘリに犬を乗せることは禁じられ、やむなく3匹の子犬とマリは置き去りにされました。

マリのような飼い犬はみな置き去りにされたので、新潟日報はそれらの犬や猫の写真を撮って飼い主を安心させました。

仮設住宅では犬を飼えなかったので、近隣の友人宅で一時を凌いで、今は建て変えられた五十嵐家で飼い主と一緒に暮らしています。

絵本や映画にもなったため、たくさんの人が訪れるだろうに、五十嵐さん宅ではいやな顔もせず、マリを見せてくださいました。
でもマリちゃん、ちょっとご機嫌ななめ。
体験学習 in 山古志 その4 地震の爪あと_d0117481_19543646.jpg


もうそっとしておいてあげましょう。

by yumiyane | 2010-05-09 17:26 | 旅(travel) | Trackback | Comments(6)
Commented by hanamamann at 2010-05-09 19:57
地震があった翌年4月に家族で新潟に帰るとき、
関越自動車道を走っていたら、長岡が近くなってきたら皆が「気持ちが悪い」と言い出しました。道路の所々は継ぎはぎのように修理してあり、
道路が微妙に隆起を繰り返し、船酔いのような状態になったようでした。
周りの斜面にはブルーシートがたくさん見え、
地震のすごさを感じました。あれから5年ですか。
子供達と行った最初で最後の新潟行きでした。
Commented by shinn-lily at 2010-05-09 21:34
報道というのは、ごく一部しか取り上げない、今の状態をこうして綴るのはむしろ、地元や、訪ねた人がやっていくことが大切でしょうね。
あらためて、山古志の皆様の大変さに胸がいたみました。
Commented by yumiyane at 2010-05-09 22:21
:hanamamannさん、翌年4月にはまだ道路はだめだったんですね。
地震で倒壊をまぬがれても、その年の冬も大雪だったので、それで倒れたお家も多かったそうです。
震源地の川口町は、ほとんどの家が建て替えていました。
一階の駐車場はコンクリで固められています。
新潟は新幹線が便利ですね。東京から1時間半で長岡に着きましたよ。
Commented by yumiyane at 2010-05-09 22:25
:shinn-lilyさん、そうですね。
ワイドショーとか、野次馬的な報道に偏っていたと思います。
この若者の死は、地震の被害者として扱われたのが救いです。
この日、長岡から見えた友人の夫の会社の方4名と一緒に、被害地を見て回りました。
全く住んでいたエリアを捨てて、高台に引っ越した部落もありました。
残された住居跡に、丸い屋根の駐車場だけがあっちにもこっちにも残されているのが奇妙でした。
Commented by kanafr at 2010-05-11 06:53
地震直後の写真も胸を打つものがありますが、こんなに5年たった今でも地震の爪跡が残っているなんて....。
今の状況をyumiyaneさんのように知らせてくださる方がいる事が、地元の方の励みにもなり、又私のように全く知らなかった人達が考えるきっかけになります。
山古志の方々頑張ってください。
Commented by yumiyane at 2010-05-12 00:32
:kanafrさん、自然の脅威は私たちが考えているよりすごいものですね。
人間の元に戻す力もすごいですが、お手上げ状態のところもたくさんありました。
それでも長い時間をかけて、また住みよい地域に作り変えて行くんですね。
応援有難うございます。


<< 体験学習(終) おもてなしのこころ      体験学習 in 山古志 その3 写真 >>