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2013年 11月 25日

伝説の場所

この数か月に訪ねてきてくれた皆さんへ
連れて行ってあげられなかったいくつかの場所。

日曜日、炎の祭り があると聞いて、斐川町にある 出西窯へ自転車に乗って行きました。
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おにぎりと豚汁がいただける、ということで列が出来ています。
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コーヒーは100円、
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すべて出西窯の器が使われています。
これ以上食器は増やせないのだけれど、引っ越しのとき処分してしまった丼用の器をひとつ求めました。


南神立橋の上から川を見ました。
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このところ、出雲の街中の観光ガイドを育てる研修に参加しています。
今日のお話は、藤岡大拙さんの 出雲神話~古事記、日本書紀、出雲風土記~ でした。

「華やかな出雲神話と貧しい考古学的知見の矛盾」 
という表題の部分はとても興味深いお話でした。
古事記・日本書紀では華々しい出雲地方ですが、考古学的に遺跡の発掘がなされなかったために、長い間大和朝廷の作り話、机上の製作であるということになっていたもの、
それが1984年に発掘された荒神谷遺跡の発見によって、一気に出雲は史実としてももっとも古い時代に築かれた豊かな国であったということが証明されたのだそうです。

大国主神の出雲大社だけじゃない、
かねてからそう思っていました。
この川も、向こうに見える山も、古事記や日本書紀、また出雲風土記に出てくる地名がそこにもここにもあることを教えてもらいました。


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素戔嗚が天つ国から降りてきたのは、奥出雲の横田にあるとりかみというところだとか、八岐大蛇退治をしたあと初めての宮を作ったのは大東にある須賀というところだった、とか。
出雲大社の中にも素戔嗚の命を祀った社はあるし、須佐神社も素戔嗚の命だったけど、初の宮は須賀にあるらしい、となったらいつかそこにも行ってみなくちゃ。
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出雲市立大津小学校の校歌の2番にある神立橋
1.ゆたかにそそぐ 斐伊川の  水上青き 山なみに、、、
  
2.神立橋の 秋ふかく  下ゆく水も はるばると
  みのる広野の 夕映えに  かがやくいらか 出雲市の
  未来を照らす よき子われ
この神立(かんだち)という言葉の意味がどこから来ていたのか、ちっとも知りませんでした。
この斐伊川のすぐ東にある
万九千(まんくせ)神社 は 出雲大社で会議をなさった神様が、それぞれの地元に帰られる前にお寄りになるところ。今年は11月28日に神去祭(からさでさい)を行うということ。
そして神様はここから旅立たれるので、神立というのだそうです。



その神社は、ひっそりとありました。
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本殿をぐるりと囲んで、まだ神様たちはいらっしゃったようです。
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こんなに気持ちの落ち着くところがこんなところにあったとは。

次回はお連れします。

by yumiyane | 2013-11-25 23:55 | 出雲(home town) | Trackback | Comments(12)