タグ:南仏 ( 7 ) タグの人気記事


2008年 02月 22日

Chapelle du Rosaire ロザリオ礼拝堂

もうひとつとっておきの礼拝堂を。
それは南仏コート・ダ・ジュールの、Venceという町のはずれにあるロザリオ礼拝堂です。
そのとき私は行きの飛行機の中から調子が悪かったので、ニースに着いたときもげっそりしていました。何か食べなくてはとヴァンスに着いて、魚のスープとパンを必死で口に放り込みました。少し元気になったので、礼拝堂を目指すため、眺めのいい広場に出て北に見える山の麓をバックに記念写真を撮ったりしました。
d0117481_23114077.jpg

これから地図をたよりに訪ねる建物がそこに写っているとは、そのときは気づいていませんでした。

アンリ・マティスは第二次世界大戦の最中、ニースに移り住みますが、さらに隣のヴァンスに疎開します。そこで礼拝堂修復の仕事を天命と受け止め、遺作となるロザリオの礼拝堂に着手したのです。
d0117481_23282095.jpg

d0117481_23214165.jpg

そのころのマティスの絵は、ものすごーくシンプルになっていました。切り紙でJazzの連作を作ったり、白い紙に黒い線だけの絵を書いたりしていました。


学生時代にマティスを勉強したことのある私は、その礼拝堂の椅子に座り、係りの人が彼の作った礼拝堂について語り始めたとき、涙が出て仕方がありませんでした。それは、ずっと本でしか見れなかった絵を、美術館で間近に見たときの感動を30倍くらいにした震えでした。

堂の中は全く写真が禁止だったので、↓の2枚は絵葉書です。
d0117481_2332497.jpg
d0117481_23321525.jpg

祭壇の反対側の壁には、キリストが裁かれ、ゴルゴダの丘に磔(はりつけ)にされるまで、十字架を背負って歩く途中のことがらの場面が10いくつ、白いタイルに書かれています。

ニースに移り住んだ彼はすでに癌に侵されていたらしく、そこで得た礼拝堂修復の仕事は彼にとってはこの上ない幸せな仕事だったと思われます。

by yumiyane | 2008-02-22 23:54 | France | Trackback | Comments(2)
2007年 09月 21日

Drive 車の旅

コート・ダ・ジュールの、ニースの空港にあるHertsで借りた車はBenzのワゴンでした。
乗用車より少し車高が高くて見通しは良かったのですが、左ハンドル(あたりまえ)でマニュアルでした。運転席の三角の窓枠が太くて、左折の際などちょっと見ずらかったかな。でもよく走りました。
d0117481_23541370.jpg

アルルからアヴィニヨンに向かって走っていると、写真のような並木道が延々と続いて、あーーフランスの道だなあって思いました。

車の旅がらくちんなのは、荷物を運ばなくていいのと、交通の不便なところに行けるところ。
d0117481_063465.jpg
アルルの郊外にあって、車じゃないといけないのがこの跳ね橋。ゴッホが描いたのはとっくに無くなってて、これは観光用に作られたもの。でもとてもロケーションのいいところにありました。
d0117481_0172231.jpgもうひとつ、ガイドブックに載っていないけどすてきな町に立ち寄れること。
ここは、Provinceの水のきれいな町、リル・シュール・ラ・ソルグの帰りに寄った、Pernesという町。そこのツーリズモ i の女性においしいお茶が飲めるところを聞いてたどりついたお店の向かいに、この城壁らしきものがありました。

日本と違って、ナビっつうものが無いから、地図と首っ引き。私は運転するだけだからいいけど、助手席の人は大変です。

by yumiyane | 2007-09-21 00:29 | France | Trackback | Comments(3)
2007年 09月 09日

Uzes という町

d0117481_20483139.jpgユゼスは南仏プロバンスにあるAvignonから西へ30Kmちょっとくらいの、小さいけれどとても美しい町です。
世界遺産のポンデュガールを見た帰りに寄りました。



d0117481_20564489.jpgユゼスは、映画のロケに度々使われるらしく、どことなく上品な町という印象を受けました。町の中心にはオーゼルブ広場があって、その回りや、サン・テオドリ大聖堂への道すがら、インテリアショップや、陶器屋さんがたくさんあって、ついつい買ってしまいます。
マダムはテーブルクロスやキッチン周りの布や小物のお店を開いています。決して安くはありません。




私がユゼスで買ったものは七面鳥d0117481_2164486.jpg
何故って、後姿がくうちゃんを彷彿とさせたのです。d0117481_2175172.jpg










右に見えるグリーンのごみ箱も買って中に入れて持って帰りました。d0117481_21205519.jpg

by yumiyane | 2007-09-09 21:25 | France | Trackback | Comments(2)
2007年 08月 25日

Saint-Maximin というところ

サン・マクシマンは、先に訪ねたサン・ボウムに一番近い、でも北東に20kmくらい離れたところにあります。ここが有名になったのは、その教会に、マグダラのマリアの遺骨がある、ということになったからです。
d0117481_2384816.jpg

それまでマリアの遺骨はヴェズレーの聖堂にあることになっていました。
教会の権威は、そこに誰が眠っているか、ということにあるのと、何の遺物があるかで決まるようです。そのため、時には交渉で遺物をやりとりした歴史は、どこの教会にもあるようです。
この教会の人たちは、マリアの遺骨を守るため、お墓の上に他の人のお墓を作ってカムフラージュしたりしたようです。
d0117481_23124289.jpg
しかし、どこの教会でもその美しさを競うために飾られる、そのファサードが剥ぎ取られていることからもこの教会に起こったさまざまな受難を想像することが出来ます。

by yumiyane | 2007-08-25 23:17 | France | Trackback | Comments(0)
2007年 08月 25日

Lisle-sure-la-Sorgue というところ

リル・シュール・ラ・ソルグは、プロヴァンスのAvignonの東20kmくらいのところにある小さいけど、とっても美しい川の流れている町です。この川はソルグという名前で、すこし上流にあるフォンテーヌ・ド・ボークリューズというところに水源のある川の支流によって囲まれています。
d0117481_17371881.jpg
川幅は広くないのですが水量は多く、とうとうと流れているため、水面は穏やかです。
d0117481_17394239.jpg

小さな町ですが、日曜日にはアンティークの市がたって、多くの観光客や近隣の訪問者でにぎわっていました。私たちは、川べりの中華レストランで、少し食傷ぎみのフレンチを休憩しました。
d0117481_17412038.jpg
フランスの田舎町で学ぶことは、どこの町もそれぞれの個性を持っているということ。あの町とこの町がこんがらがることはあまりありません。思い出すとそれぞれに町並みや食べたものまで思い出せることです。

by yumiyane | 2007-08-25 01:01 | France | Trackback | Comments(3)
2007年 08月 23日

La Sainte Baume というところ

フランスはコート・ダ・ジュールからプロヴァンスのアルルへ移動する為、高速A-8を西に向かっていたとき、同行していた2番目の姉が、突然行ってみたいところがある、と言い出しました。サン・ボウム、マグダラのマリアが、サント・マリー・ド・ラ・メールから一人で布教のため移動した場所、30年もの時を過ごしたとされる場所、があるというのです。
d0117481_0364290.jpg
麓の駐車場から、徒歩で45分くらいの山道を登っていきます。道は整備されていて、車も通ります。ぜいぜいいいながら登ると、石灰岩の山の中腹に突然礼拝堂が。マリアが居たころはただの洞窟だったと思われるところに、のちに壁を作ったもの。
d0117481_0423498.jpg
中に入るとひんやりして、天井からはお水がぽとぽと、これを飲料水にしていたのでしょうか。
d0117481_0465244.jpg
私は特に宗教心はありませんが、マリアを思って、ここでは胸がキュンとなりました。洞窟は北を向いていて、夏は涼しいですが、冬は相当厳しかったと思われます。しかし平地からは随分登っていて、誰かがやってくるのが見てとれるため、身を隠しながら住まうのには都合がいいところだったことでしょう。
最初の写真の岩山の上に、見えるでしょうか小さな祠があるのです。さすがにそこまでは登りませんでした。マリアもそこまで登ったかどうか。後の人々によって作られたものだと思います。
2000年近く前のことゆえ、何が真実で、何が作り事か。しかし最大のサスペンスであることには間違いありません。

by yumiyane | 2007-08-23 01:01 | France | Trackback | Comments(2)
2007年 08月 21日

Stes-Maries-de-la-Mer というところ

フランスはプロヴァンスの南、カマルグの湿地帯の先に、サント・マリー・ド・ラ・メールという日本語表記にすると面倒くさい名前の小さな町があります。
名前の直訳は、海の聖マリアたち、でしょうか。
キリストが磔刑にあったあと、聖母の妹もマリア、ヨハネの母もマリア、そしてマグダラのマリアの3人のマリアが召使サラと舟に乗せられて、流れついたところだったと。今は地づつきになっているけれど、そのころは島だったらしいです。
d0117481_22292076.jpg


二人のマリアとサラはこの地に留まったようですが、マグダラのマリアは布教につとめるため、さらに別の地に移ります。
d0117481_22321077.jpg

召使のサラはエジプト人だったため、顔の色が濃く、そのためフランスのジプシーたちの守り神として5月と10月の巡礼者の祭りにはアルルにまで続く列が出来る、らしい。

この地を訪れたのは5年くらい前。
そしてダ・ヴィンチ・コードを読んだとき、
あれ???キリストとマグダラのマリアの子供の名前がサラ?どこかで聞いたことあるな。
もしかして、舟に乗せて流された召使いとは、二人の子だった?

何か頭の中で、ガチガチッとパズルがはまる音がしたような気がしました。

by yumiyane | 2007-08-21 22:40 | France | Trackback | Comments(0)