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2007年 08月 25日

Saint-Maximin というところ

サン・マクシマンは、先に訪ねたサン・ボウムに一番近い、でも北東に20kmくらい離れたところにあります。ここが有名になったのは、その教会に、マグダラのマリアの遺骨がある、ということになったからです。
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それまでマリアの遺骨はヴェズレーの聖堂にあることになっていました。
教会の権威は、そこに誰が眠っているか、ということにあるのと、何の遺物があるかで決まるようです。そのため、時には交渉で遺物をやりとりした歴史は、どこの教会にもあるようです。
この教会の人たちは、マリアの遺骨を守るため、お墓の上に他の人のお墓を作ってカムフラージュしたりしたようです。
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しかし、どこの教会でもその美しさを競うために飾られる、そのファサードが剥ぎ取られていることからもこの教会に起こったさまざまな受難を想像することが出来ます。

by yumiyane | 2007-08-25 23:17 | France | Trackback | Comments(0)
2007年 08月 23日

La Sainte Baume というところ

フランスはコート・ダ・ジュールからプロヴァンスのアルルへ移動する為、高速A-8を西に向かっていたとき、同行していた2番目の姉が、突然行ってみたいところがある、と言い出しました。サン・ボウム、マグダラのマリアが、サント・マリー・ド・ラ・メールから一人で布教のため移動した場所、30年もの時を過ごしたとされる場所、があるというのです。
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麓の駐車場から、徒歩で45分くらいの山道を登っていきます。道は整備されていて、車も通ります。ぜいぜいいいながら登ると、石灰岩の山の中腹に突然礼拝堂が。マリアが居たころはただの洞窟だったと思われるところに、のちに壁を作ったもの。
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中に入るとひんやりして、天井からはお水がぽとぽと、これを飲料水にしていたのでしょうか。
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私は特に宗教心はありませんが、マリアを思って、ここでは胸がキュンとなりました。洞窟は北を向いていて、夏は涼しいですが、冬は相当厳しかったと思われます。しかし平地からは随分登っていて、誰かがやってくるのが見てとれるため、身を隠しながら住まうのには都合がいいところだったことでしょう。
最初の写真の岩山の上に、見えるでしょうか小さな祠があるのです。さすがにそこまでは登りませんでした。マリアもそこまで登ったかどうか。後の人々によって作られたものだと思います。
2000年近く前のことゆえ、何が真実で、何が作り事か。しかし最大のサスペンスであることには間違いありません。

by yumiyane | 2007-08-23 01:01 | France | Trackback | Comments(2)
2007年 08月 21日

Stes-Maries-de-la-Mer というところ

フランスはプロヴァンスの南、カマルグの湿地帯の先に、サント・マリー・ド・ラ・メールという日本語表記にすると面倒くさい名前の小さな町があります。
名前の直訳は、海の聖マリアたち、でしょうか。
キリストが磔刑にあったあと、聖母の妹もマリア、ヨハネの母もマリア、そしてマグダラのマリアの3人のマリアが召使サラと舟に乗せられて、流れついたところだったと。今は地づつきになっているけれど、そのころは島だったらしいです。
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二人のマリアとサラはこの地に留まったようですが、マグダラのマリアは布教につとめるため、さらに別の地に移ります。
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召使のサラはエジプト人だったため、顔の色が濃く、そのためフランスのジプシーたちの守り神として5月と10月の巡礼者の祭りにはアルルにまで続く列が出来る、らしい。

この地を訪れたのは5年くらい前。
そしてダ・ヴィンチ・コードを読んだとき、
あれ???キリストとマグダラのマリアの子供の名前がサラ?どこかで聞いたことあるな。
もしかして、舟に乗せて流された召使いとは、二人の子だった?

何か頭の中で、ガチガチッとパズルがはまる音がしたような気がしました。

by yumiyane | 2007-08-21 22:40 | France | Trackback | Comments(0)
2007年 08月 20日

Vezelay というところ

フランスはブルゴーニュ地方にある、Basilique Ste-Madeleine サント・マドレーヌバジリカ聖堂は1979年に世界遺産に登録されました。その聖堂のある町がヴェズレーです。
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ここは、中世に、あのマグダラのマリアの遺骨がある、ということでたくさんの巡礼者が訪れ、教会は儲かり、大きくて立派な聖堂が造られました。ところが、マグダラのマリアの遺骨は、そこから何十キロも離れた、サン・マクシマンという町の教会にある!?ということになって、人は減り、教会は廃(すた)れました。19世紀になって、やっぱりお金をかけただけのことはあって、立派な聖堂でしたから、そこを修復して世界遺産登録となったわけです。
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中世というのはいったいどういう時代だったのか。大きく言えばローマ時代からこっち、ルネサンスより向こうということになるのですが。
それは私にとっても長い間の?でした。中世という時代は、キリスト教会がいかに存続していくかを試行錯誤していた時代のように思われます。富と力を蓄えた教会と、純粋に信じる心を求める修道院との対比が後にヨーロッパのそれぞれの町の財産となり文化となって残っていくのです。


               ヴェズレーの聖堂の丘の上からの眺め
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サン・マクシマンとマグダラのマリアについては、次の機会に。

by yumiyane | 2007-08-20 23:48 | France | Trackback | Comments(0)
2007年 08月 15日

Cathedrale Notre-dame というところ

ノートルダム寺院というところへは、5度目のパリで行きました。ダ・ヴィンチコードを読んだばかりのときでしたから、サン・シュルピス教会のローズ・ラインとこのノートルダムの最後の晩餐のレリーフを見たかった訳です。
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確かに、最後の晩餐のキリストによりかかるように女性・マグダラのマリアがいて、頭数も一人多いです。
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撮った写真を見て面白かったのは入口のドアの飾りです。板に装飾がほどこされているのですが。
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実はこの写真、全く同じものをひっくり返しています。下の写真をみつめていると、模様が彫られているように見えてきませんか。上はくっつけてあって、下は模様を掘ったように。2枚が同時に見えるように画面いっぱいにして見てくださいね。
これは、光の当たり方が上からあたるというのが自然で、反対にすると下から光が当たっているように見えるので凹凸が逆に見えるようです。何?見えない?少しスクロールして見てください。
このことは、ずっと前、アポロが月に到達したときに、クレーターが盛り上がって見えるか、盛下がって見えるかと解説していたのを、小さい頃不思議に思って見ていたことを、この写真を見て思い出し一人でひっくり返したり、元に戻したりして眺めています。

by yumiyane | 2007-08-15 22:10 | France | Trackback | Comments(3)