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2012年 07月 31日

このところのニット

暑い暑い夏が続いていますが、

みなさん、編んでいますよ~♪

私は、エアコンを全く使ってないので、ちょっと涼しいものをと
先日来編んでいるのは カフェ・カーテン というもの。
キッチンの棚とか、ちょっとした窓とかに飾る小さな飾りカーテン
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まだもう5つくらい模様を編んで、縁編みをします。
出来上がったらまたアップしますね。
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こちらは、桜新町にこの春から参加してくださっているYuriさん。
初めての編み物です。棒針で編んだのは、
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愛犬くんに編んだのですが、柴犬くんにはちょっと小さかったんだそうです。
だからというわけではありませんが、うちに居たこの人に着せてみました。
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あまりにぴったりで、着せたままで、今もうちの子供用椅子に座っていますよ。
忘れていっちゃいましたね。


大泉学園のWさんは、かぎ針で編んだジャケットを仕上げました。ボタンをどうしようということで、
編みぐるみのボタンを提案。
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そのボタンを編んで付けたところ、と写真が送られてきました。
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いつもきちんと完成させて、優等生さんです。

暑いんですけどね、
今日も、オリンピック見ながら
編んでますよ。

by yumiyane | 2012-07-31 23:26 | にっと(knit) | Trackback | Comments(8)
2012年 07月 29日

私がデモに参加するわけ

あれは、70年安保の時でした。
70年安保と言っても、もう分かる人は少なくなって来ているでしょう。

60年安保で樺美智子さんが亡くなって、その10年後の日米安全保障条約改訂に向けて、日本中の若者が政府に向かって抗議の声を上げていました。
時は、世界中の若者がそれぞれの国の支配者に対して、それぞれの国の事情で主張の声を上げていく流れの渦の中にありました。
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私の入学した大学は、世田谷の郊外にあって、所謂学生運動の盛り上がりから言えば、相当おとなしい学校でしたが、それでも学長を呼び出して、質問をするあの大衆団交というのも試みてはいました。結局学長は一度も顔を見せませんでしたが。
そんな中、美術部に所属していた私は、部活の延長としてある日、ベ平連のデモに参加することになったのです。ベ平連とは、ベトナムに平和を!市民連合の略です。
四谷の清水谷公園が集合場所でした。そこから赤坂見附を通って日枝神社の脇を抜け、坂を上って国会議事堂前に出ます。その坂の途中、国会議事堂前の道をジグザグデモをしていた中核とか革マルとかの人たちが過ぎ去るのを待っていました。
ベ平連はおとなしい人たち、でも主張したい人たちの集団でしたから、警察もあまり警戒をしていませんでした。それでも、霞ヶ関から銀座の中央通りで座り込みをしたときには若者の心は有頂天でした。
この東京の繁華街の一番の通りを占拠した、という満足感とでもいいましょうか。

数年後、赤坂の日枝神社裏にある会社に就職した私は、会社の宣伝冊子を大量に送付するため台車に乗せて運ぶとき、郵便局への坂道が、あのベ平連のデモのときの国会議事堂へ続く坂道だったことに気づいたのです。私は少し大人になっていました。



私が原発反対のデモに参加するのは、自分のためです。
去年3月に起きた福島第一原発事故によって知らされた原子力発電の危険さ、ビジネスのやりかたの汚さ、危うさ、そんなものにひとつも気づかなくて去年までやり過ごしてきた自分に対して取り返しのつかない悔しさがあるからです。


デモには参加したことが一度だけあったから、少しも躊躇することはありませんでした。
今の人間の知恵と技術ではどうしようもない地上での核融合反応エネルギー。それに頼らないことで使い放題の電気使用を控え、暮らしを見つめ直し、地球に生かされる生き物として自然と共存しながら暮らしを工夫する。
そこにこそ、新しい技術・経済が繁栄すると信じたい。


日比谷公園に集合して始まった今日の反原発デモのコースは、まず東京電力本社前を通りました。
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その手前に右翼とおぼしき人たち(帝国陸軍の日章旗を掲げていたので)が私たちを威嚇します。
放射能の恐怖を煽り震災復興を妨害する反社会的勢力くたばれ
と来たのには驚きました。
また、反原発デモに参加する奴らは極左翼のテロ集団 というのもありましたね。はあ、私たちがテロ集団とは?


デモは、経産省の前も通りました。日曜日でしたが、いくつかの窓は開いていて、どなたかお仕事なさっているのでしょうか。その窓に向けて、みんな大声で叫びました。
再稼働反対!
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もの凄く多くの人が集まっていました。デモの隊列は10人くらいが横になって続きました。
最初に出発したデモ隊が新橋から霞ヶ関を横目に日比谷公園に戻るころ、これから出発する人たちが残っていましたから。


夕方19時からは、国会包囲ということで、国会議事堂をぐるりと囲んで訴えようという試みでした。
私は、今回もkinunさんと一緒に参加しました。
最初はこの辺りで座り込んでいましたが、
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終了時間が近づいてきたので、国会正門前あたりに行って見ることにしました。
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それはそれは大変なことになっていました。
国会を正面に見る道は中央分離帯を間に双方三車線の道です。その計六車線を人が埋め尽くしていました。開放されたのです。

日曜日の夜、国会周辺なんて車も少ないし、ましてや歩いている人なんていません。たまにジョギングしている人がいるくらい。
だから、私たちが道を占領したからって、、、、迷惑かけてたらすみません。

同じ気持ちの人たちがこうして集まって、私ひとりの声では届かないけれど、こんなに大勢の人たちが叫べば、何かが動くかもしれない。そんな希望を持った国会議事堂前の一時間でした。

今回の脱原発のデモは、あの70年安保のデモ以来、それに匹敵すると言われています。
政府を動かそうという志は同じですが、人が違います。
この脱原発のデモは参加者の層が、すべての世代です。杖をついた老人から、ベビーカーを押しているママたちまで。
今日は届いたでしょう!



8月12日締切のパブリックコメント、どうぞよろしく。

by yumiyane | 2012-07-29 23:55 | 身の回りのこと(around me) | Trackback | Comments(28)
2012年 07月 27日

サッカー 勝ちましたね

開会式がまだ始まっていないのに、連日嬉しい結果をみています。
女子も男子も、第一戦を勝ちました。

男子はワールドカップと全然違う人たち(私が知らないだけ?)。
サッカーの選手の層の厚さを見ましたね。

スペインに勝ったのですよね。
後半の最後3分からは、時計を早く早く!とせかしていました。
良く守りました。
5つくらいシュートが入らなくて、これはなんとかしないと次を勝つのは大変かなあ。


ところで
くうちゃん、受難
先週、くうちゃんが激しい便秘になって、丸3日ご飯が食べれなくなってしまいました。
詰まってるのかなんなのか、この季節ですから調子が悪いのは避けたいので、クリニックに行きました。
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池尻大橋ペットクリニックは土曜日は16時から、調べていたのにも拘わらず、一時間まちがえて着いてしまいました。タクシーに乗ってすぐ気が付いたのですが、待合室で待ってようと思ったんだけど、開いてない。
近くの公園で時間を潰しましたが、カーゴの中でくうちゃんは非常におとなしい。もう観念した感じ。

4時を少し前に待合室に入れてもらって待つこと20分。
若い女性の先生が診てくださいましたが、久しぶりだから血液検査をしましょうと。それから浣腸もしてもらって、腸の中を空っぽにしてもらいました。
脱水症状になっているから、点滴をしましょうか、ということでそれもお願いしました。
エリカラを付けてはいるものの、ものすごいいやがる大きな声が聞こえてきます。
頑張れ!くうちゃん、頑張れ!先生。

便を出しやすくするシロップと、腸を傷つけたかもしれないので抗生物質、もうひとつ何の薬だったかな。
血液検査は、腎臓の機能を示す値が少し悪くなっていたほかは、だいたい正常。すごいぞくうちゃん!
診察費は計¥20,260でした~。健康保険ないのよね。

ペットクリニックを出たのが夕方17時半でした。よく頑張ったね。
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もう、相当くたびれた様子。私のお財布もくたびれました。
お腹空っぽになったはずなのに、ご飯食べてくれません。
大丈夫か、くうちゃん。



土曜も日曜もご飯食べませんでした。月曜日の夜、やっと鶏肉の竜田揚げを細かくして少し温めたのを食べてくれて、それからはだんだん回復し、
木曜日やっと次の便が自力で出ました!
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もう大丈夫だね。


下の話にお付き合いいただき、有難うございました。

by yumiyane | 2012-07-27 00:38 | 身の回りのこと(around me) | Trackback | Comments(23)
2012年 07月 23日

グレーの夏糸のカーディガン

もう1年以上前に、片袖まで編んでいてそのままになっていたグレーのカーディガン。
やっと残りの袖を編んで、仕上げました。
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なんでほったらかしになっていたのか?
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分かりません。ときどきあります。

糸は、ロンドンのリバティで買ったもの。そのとき一緒に行った会社の同僚のお母さんのために編み始めました。糸代もらっていたからね。

だけど、夏糸ってどこか言うことを聞いてくれない、っていうかしゃんとしてくれなくて、だんだんいやになっていったのです。

同僚のお母さんには、他の糸で編んだカーディガンをすでにお渡ししました。

そんないきさつでとん挫していたこの作品。
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自分で着るならいいか、ってやっと完成です。


そもそも、この後ろ身頃の透かし編み部分。これを肩の部分に使う、本に載っていたチュニックにするつもりでした。
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本のとおりに編むことが全く不得手のわたし。
すぐ自分流にアレンジしてしまういつもの癖が出てしまいました。
身頃には幅が足りない、なら前身頃を編む時に、後ろ身頃の分まで足して編んであげればいい。
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いつかV編み物教室でもこれをやって、先生に「今回だけは見逃す」と言われたことがあったっけ。

兎に角、透かし編みを背中に、きっとこれは涼しいに違いない!
背中って温度を感じやすい部位ですから。

脇が前身頃と繋がってるって分かりますか。

お袖も、実は長袖にするつもりでした。
でも、これくらいの長さなら真夏でも着るかな、ということで半そでに。
下にタンクトップを着れば案外いけるかもしれない、という推測で長さがこれくらいと決めました。
お袖はゆったりめなので、着やすいと思います。
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とにかく完成して良かった~♪



そうそう、政府のエネルギー・環境に関数する選択肢に対するパブリックコメント
もう提出なさいましたでしょうか。
先日国会議事堂前で用紙を配っていましたので、それに書いたのでこれからファックスします。

私の場合
1、個人
2、名前
3、住所
4、会社員
5、60代
6、女
7、メールアドレス(または電話番号かどちらか)
8、ご意見の概要・・・ここに①のゼロシナリオ
9、ご意見及びその理由・・・原子力発電は現状では人間がコントロール出来ないエネルギーであることが、福島第一原発の事故で分かったため。さらなる技術開発は福島第一原発の事故収束につぎこまれなければならない。これが出来ないうちは原発に関して未熟である。未熟であるうちに他の原発を再稼動するのはあり得ない。また、使用済み燃料の処理も行われていない現状を自覚すべし。
さらに技術開発は再生可能エネルギーに向けられるべき。へき地対策の名目で、巨額を投じて建設された原発・その原発マネーは、不自然な地域開発となり、非人道的。よってゼロシナリオを心から要望する。

8月12日18時必着です。
皆様もどうぞよろしく。

by yumiyane | 2012-07-23 23:55 | にっと(knit) | Trackback | Comments(14)
2012年 07月 21日

Friday night

バブルのころは、私の勤めるような小さな会社でも、ニューヨークやロンドンに支社がありました。

やがてそれも閉じなければならなくなった頃、後始末のためにたびたびニューヨークに行きました。

金曜日の夜の街は、相当賑やかでした。
仕事から解放されたビジネスマンでカフェやバーは溢れかえっていて、夜中まで大騒ぎです。
ダウンタウンは案外治安が良く、そんな中を女子が歩いてホテルに帰るのもよくあることでした。

日本で金曜の夜が開放されたのは、週休二日制が浸透した2000年くらいなんだそうです。
そういえば、おいしいお店の金曜日の予約が取りづらくなったのがそのころからのような。。。


金曜日についての、この記事を早く書かなくてもいいようになりますように。

20日の金曜日は、会社のレイアウト変更に伴う社内の片づけのため、少し腰を痛めてしまい、
今日は真っすぐ帰ろう!と7時に会社を出ました。

表参道の駅が、あまりににぎやかで、普通にFriday nightを楽しむ人が多くて
半蔵門線に乗るはずが、自然と千代田線に足が向き、国会議事堂前を目指していました。
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このあいだから、あまりにも多くの人が押し寄せて、警察の規制が厳しくなって、
あっちやこっち
向こうやそっちに
散らばされるようになったので、反原発を訴える私たちに一体感を持ってもらうため
田中さんが頑張って、白い風船を配るようになりました。

なんでもベルギーで1996年に起きた事件の解決を訴える「白の行進」で、この白い風船が使われたのにあやかったのだそうです。

3月から始まった首相官邸前の反原発デモは、今は首都圏反原発連合というのが主催者になっているそうですが、デモの申請は行っていないそうなのです。
ということは、道路使用許可も取っていないということ。
自然発生的に広がって膨れ上がっている金曜日の集会。


そうそう、主催者が次の金曜日は行いません、29日日曜日の夜、国会包囲をします、とのことです。


只今放送中!NHKスペシャル「メルトダウン連鎖」必見です。
これぞ公共放送の役割。



先日友人と、脱原発についての激論になったとき、
友人が、全基廃炉にしたら、技術研究の余地がなくなる、それはどうかな?と言いました。

写真は、7月20日朝刊の東京新聞
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福島第一原発4号機の燃料プールから、未使用の核燃料二体を取りだす作業 だそうです。
中央の黒い棒状の物体が核燃料、それを水で汚れを洗い落とす んだそうです。
二日かけ、延べ100人の作業員が計6時間かけたけど、今回の作業は試験的なもの。
まだ1500体が残っているんだと。気が遠くなります。


あらゆる試験は行った、と原発を設計した科学者は言います。
しかし、事故が起こったときのテストは起こってみないと分からなかったと。

技術研究の場所は、今福島第一原発にあります。
今ある技術を結集し、さらに研究し、一日も早く事故を収束してほしい。
それをしないで再稼動することは、
なんの研究にもならないし、技術の進歩にも繋がらないのです。

by yumiyane | 2012-07-21 21:08 | 身の回りのこと(around me) | Trackback | Comments(14)
2012年 07月 18日

おまわりさんの話

いつごろからだったでしょうか、実家の前に交番が出来ました。
小さい頃の写真に、お巡りさんが写っているものがあるから、相当前だと思われます。

その交番には殆どいつも誰かが駐在していて、おかげでうちは泥棒に入られたことがなかったです。
交番の前にはブランコがあったり、滑り台があったので、交番も遊び場のひとつになっていました。

入口を入ると少し高めのカウンターがあって、お巡りさんはその向こうに座っています。
少し湿った金属の匂いと、トイレの匂いが混じって、自分の家にはない空気がこもっていました。

お巡りさんは、おじさんの他に若い人が入れ替わって当番にあたっていました。

大学に入る為上京したころ、母が軽い認知性になっていて、それが心配だったので休みになると帰郷しました。
美術部の合宿以外は、殆どの休みを出雲で過ごしたのです。

大学三年のころ、前の交番に京都S大学を卒業して、警察官になったばかりの若いお巡りさんが来ました。
彼は、白バイに乗りたくて警察官になったんだ、と話してくれました。

彼が当直で、私が暇な夜は遅くまで話し込むほど仲良しになりました。

夏休みのある日、彼が非番のとき海水浴に行くことになりました。
車で家に迎えに来てくれた彼に、父は玄関で仁王立ちになって睨みつけ、気を付けてくるように言い渡しました。

出雲の海岸は、多岐から小田というところにかけて美しい砂浜が続いています。
海の家など殆どないところ。車を停めて泳ぎました。
そうこうしているうちに突然の雨。

出雲は八雲たつ ところ、いつも突然雨が降るのです。

二人とも水着を着ていたのだから、多少の雨なんて平気のはず。
でも何故か車に避難しました。よほどの大雨が降って来たのかな。

助手席に座った、水着の若い女学生を隣にしても、その警察官の彼は指一本触れませんでした。

雨が上がって、もうひと泳ぎしたのかどうか、覚えていません。
とにかく、父が申し渡したように、気を付けて運転をして私を送り届けてくれました。

大学を卒業した翌年に、同窓生と結婚した私は、母が心配だったのでよく実家に帰っていたある日、
玄関にスピーカーで呼ぶ声がします。

私が帰っているのをどうして知ったのか、そこには白バイに乗った彼がいたのです。

嬉しそうでしたね。白バイに乗りたかったんだものね。走りはしませんでしたが、私もその白バイに乗せてもらいました。


私の中のおまわりさんは、小さい頃から仲良しでいつも遊んでもらっていた、あの人もこの人もみんないい人でした。
だから、東京に出てきたばかりのころ、一方通行を逆に走ったと注意されたときも、
女子医大に子どもを透析に連れて行く時、右折車線に並ばなかったと注意を受けて思わず泣き出した時も、
いつもやさしく悟されて、守られているような気持ちになったものです。


年月が経って、こちらがうんと年上になったこのごろ、
首相官邸前とか、
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代々木公園あたりとかで
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警戒に当たる彼らを見ると
まだまだ人生青いなって、私たちをどうこうしようなんて100年早い、なんて思ってしまいます。


思い出の中のお巡りさんは、あまりに優しかったからね。

by yumiyane | 2012-07-18 14:21 | 若かったころ | Trackback | Comments(16)
2012年 07月 16日

熱い 暑い 日

ブログで仲良くさせていただいているkinunさんと、
一緒に代々木公園に行くことになりました。
今回も一人かな、って思っていたから、ラッキー!
ということで、明治神宮前駅で待ち合わせました。


凄いことになりそうだ!?
という予感はありました。
案の定、明治神宮前あたり
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実に多くの人が向かっています。

さよなら原発10万人集会
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主催者発表の数字は17万人ということ。
原発を再稼動してほしくなくて、脱原発を希望している人で、ここに来れた人が17万人居たということです。

この様子を空から見ていた新聞社の記事をご覧ください。

講談士の神田香織さんの司会
呼びかけ人の坂本龍一、鎌田慧、内橋克人、大江健三郎、落合恵子、澤地久枝、瀬戸内寂聴各氏の挨拶
広瀬さんのお話
福井県からと福島県からの代表のお話
そのときの乱入者、意図せず撮った写真に写っていました。
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昨日仙台でも、今日名古屋でも、政府が行っている2030年の日本のエネルギー政策の在り方、の公聴会で、電力会社の社員、原子力関係者、原子力ムラの人、が20~25%を主張したんだと。
一般の人の意見を聞く会でもなんでもない!
原子力関係者は一般の人ではない!
何故そんなことが分からないのっ!細野くん!



ここに集まった17万人の人たちは、0%を主張しているのですよ。

33度以上の炎天下のもと、ひとりの熱中症も出さず!
私たちは、夏が暑いことを知っているから。
夏は暑いのです。

NHK脇のけやき並木は、脱原発銀座。
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届けーっ!みんなの心

by yumiyane | 2012-07-16 21:56 | 世の中(real world) | Trackback | Comments(20)
2012年 07月 14日

エネルギーの話

NHKスペシャル 激論!ニッポンのエネルギー
が生放送されています。

14日、政府のエネルギー・環境会議が開かれ、国民の意見を聴く会が開かれたそうです。
それは2030年の日本における原発の割合を決める参考にするんだそうです。


ここに、ツィッターのつぶやきがあります。
河野太郎 ‏@konotarogomame

経団連が恣意的なアンケートを組織的に始めました! エネ環境会議のエネルギーの選択肢へのパブコメに皆様のご意見を。 http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120702/20120702.pdf パブコメできっちりと国民の意思を示せないと、このままエネ庁のシナリオそのものになります。ぜひ、よろしくお願いします。


ということ。
ここをクリックするとそのサイトに行けます。

NHKの番組でも、この①と②と③のいずれか!?ということで討論されています。
2030年において原発の比率
① 0%
② 15%
③ 20~25%

この③は、2011年から2012年にかけて日本で起こったこの様々なことを全くなかったことにする、
そいういう数字ですよね。

①は脱原発・全ての原発廃炉、ということです。
経産省はこの三つの中から選択するなら②であれば、国民の多くが納得するだろうって?

ここに7・10の東京新聞の記事があります。
政府が原発の運転を四十年に制限する約束を守れば、2030年には現在五十基ある原発は自然と二十基に減り、全て再稼動するとしても原発比率は15%になる。
だが、政府がもう一つ約束した「安全性が確認され、電力不足という必要性がある場合に限り再稼動」の内容が抜けている。
二十基のうち、中部電力浜岡4,5号機(静岡県)などはより大きな海溝型地震の想定が必要とされる太平洋側にあり、安全面に大きな不安を残す。
さらに、原発ゼロと猛暑を想定した今夏の電力需給見通しで、かなり電力が足りないとされたのは関西のみ。
北海道や四国、九州は若干足りない程度。このことを考えれば、残すかどうか検討対象にする原発は四電力管内の泊2、3号機、大飯、3、4号機、伊方3号機、玄海3、4号機の七基しかない。
これらを全て稼働させ、稼働率を80%とやや高めに仮定し計算しても、原発比率は5%程度にしかならない。
本来はこの数字をスタート地点に、どう脱原発依存を勧めていくかを考えていくのが、政府の務めのはずだ。




番組で
香川リカさんが聞きました。
三つの選択肢について一番投票が多かったら、その番号になるんですか?

古川大臣が言いました。
今回初めて国民の皆さんの、原発に対する思いを受けて、エネルギーのあり方は国のあり方を決めることだから、多くのみなさんに考えていただきたいから、意見をいただきたい。

でも、国民がどう言おうと最終的には政府が決めるんですか?
視聴者は①を選んでいるひとが51%いるのですよ。

~~~

この番組が、国民のガス抜きだけにならないように、くれぐれも。。。。


政府が提唱しているように、脱原発依存として2030年を迎えるのなら、
①でもない②でもない、ましてや③でもない、5%から始める、というのが正論ではないか、という東京新聞の記事にはそこから語るべきだろうという数字としては納得できます。

しかし、
しかし私は今日も明日も叫びます。
再稼動反対。
7月13日金曜日19時20分、国会議事堂前駅4番出口から内閣府上途上
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16日12時15分から、代々木公園B地区
さよなら原発10万人集会

by yumiyane | 2012-07-14 22:31 | 身の回りのこと(around me) | Trackback | Comments(4)
2012年 07月 11日

猫の話

私は猫を飼っています。
今から19年前の4月ごろに誕生した猫ですが、捨て猫でした。
会社の前の電信柱のたもとに、スーパーの袋に入れられた4匹の捨て猫のうちの一匹です。

へその緒が付いたままの猫たちは、一人の女子社員の努力で、どんどん育ちました。
しかし、一匹はやはり弱くて生後3週間くらいで亡くなってしまいました。
残りの3匹を買い物かごにに入れて、自宅と会社を往復しているうち、電車で隣り合わせたおばさんに一匹もらわれていきました。
残った2匹を、私はときどき預かりました。その女子社員が出張するときです。

ある日、2匹のうちの1匹の具合が悪くなって、片方の1匹を預かりました。
その晩、預かった一匹も具合が悪くなって、もう駄目かも、と思われました。まだ生後3カ月くらいでした。

翌朝、よろよろしながらも元気に歩く一匹の姿を見て、これなら飼えるかもしれない、と何故か思ってその一匹を引き取りました。
丁度そのころ私は、ハプスブルグ家最後の皇女「エリザベート」を読んでいて、クーデンホーフ・カレルギーが、汎ヨーロッパを提唱しているくだりでしたので、うちに来た捨て猫をクーデンホーフと名付けました。

それが、今一緒に暮らしている最愛のくうちゃんです。
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だらかくうちゃんはもうじき20歳になるのです。
おじいちゃん猫です。

猫には国境が無いのかな?ってときどき思います。
だって、ブログ仲間の
junkoさんちには、チッチというのが居て
kazukoさんちには、ジジというのが居て
とても良く似ているから、兄弟みたいなのです。

でも、お二人はイタリア在住の方。
案外くうちゃんをイタリアに連れて行って一緒に遊ばせても、猫言葉は通じるかも。きっとね。

そういえば、
イタリアでは、猫って特別な存在らしいです。
ローマの古代遺跡・フォロ・ロマーノにも、ナポリのポンペイ遺跡にも、海岸にもたくさんの猫たちが平和そうに暮らしていました。

イタリアの猫事情。
CSが観れる方、是非ご覧ください
特にこちら、世界猫さんぽ~イタリア
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イタリアでは、犬より猫のほうが大事にされているんだそうです。それは番組を見るとわかるんだそうな。
取材してきたともだちがそう言っていましたよ。
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くうちゃんも、おうちで一人でいるのは可哀そうだから、今度イタリア連れて行ってあげようかな。
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あ、でもまた年寄りの冷や水って言われそう。
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by yumiyane | 2012-07-11 01:00 | family | Trackback | Comments(26)
2012年 07月 09日

車の話

車の免許を最初に取ったのは、16歳の誕生日を待って。当時は軽免許というのがありました。
運転できるのも軽自動車だけ。

高校三年生、18歳になるのを待って、普通免許を取りました。一週間だけ通って、実技と筆記。すぐ合格です。
それから何十年、数年前に手放すまでずっと車を持って運転してきました。
最近は、海外に旅行に行った時と、ふるさとに帰った時しか運転していません。


父はトヨタ車が好きでした。大体、巨人大鵬玉子焼きの人でしたから。
息子が3歳の時、離婚した私に父が車を呉れました。そのとき乗っていたカローラ・レビンを下ろしてくれたのです。
出雲から大阪まではトヨタの人が運んでくれました。大阪空港で受け取って、一人で東京まで乗ってきました。連休の最終日で、もの凄く混んでいて、事故もあったし、大阪から9時間かかりました。
車の運転は好きです。

それからずっと、トヨタのカローラ・レビンを乗り継いでいました。
一番最後のレビンは紺色。前の風を取りこむところがハニカムになっていて、そこがとっても好きでした。今みたいに箱型でなく、かといって流線型でもなく、丁度いい走るのに美しい形。
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写真は、私の車ではありませんが、ほぼこれに近い。

エンジンはDOHC(ダブルオーバーヘッドカムシャフト)を積んでいました。意味はよく分かりませんが、バブリーなエンジンだったと思います。
アクセルを踏むとすぐエンジンに響きました。離すとすぐエンジンブレーキがかかる。すごく反応の早い車でした。
そのブルーのレビンには13年乗りましたが、
駒場4丁目に住んでいたころは、5分乗ると渋谷でしたから、どこに行くにも都内なら30分くらい。
そのころは駐車についてもそれほどうるさくなかったのです。
桜新町に引っ越して途端に乗らなくなりました。
外に出るには便利です、東名とか第三京浜へはすぐですから。でも渋谷を通過するのにすごく時間がかかる。それに駐車禁止がとんでもなく厳しくなりました。

駐車場代は月に31,500円かかりましたし、出かけてもパーキングを探すのが大変。
あまりに乗らなくてバッテリーが2回あがって保険屋さんのお世話になりました。
そんなこんなで、車検のときに、もういいかなってさよならすることにしたのです。

とっても愛した車だったので、引き取られていくテールランプを見て涙しました。
廃車になっちゃうのかな、って、可哀そうでした。
ところが、
ひと月くらい経ったころ、一枚の葉書が来て、オーバーホールして、ナンバーを変えて売れました、というお知らせでした。
下どりはゼロ円でしたからフクザツでしたが、あのエンジンがまだ健在だと知って嬉しかったです。


このごろ、若い人が車に乗らなくなった、と聞きます。
海外旅行にも行かなくなったらしいですね。それも時代の流れでしょうか。

~峠を越える~
峠を越えるって、すごく大変なことがあったけど、やっと目途が付くとか、乗り越えるとか、いい言葉なんですね。


私みたいな、カローラのレビンとかトレノとか、そんな車を乗り回していた世代を狙って、
トヨタが出した車 ハチロク
ハチロクとは型番のことなんだけど、多分1986年ころ発売されたAE86型に由来するんだと思います。

新ハチロクが疾走する番組・峠TOUGE
、7月から始まりました。
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日本の美しい風景も見ることが出来ます。
大切な大切な私たちの故郷も出てきますよ。


エコカーに乗って、また古里の野山を走りたいな。

by yumiyane | 2012-07-09 00:38 | 身の回りのこと(around me) | Trackback | Comments(14)