カテゴリ:世の中(real world)
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2012年 04月 26日
釣師浜 
「旅館があったところに連れて行ってあげる」

お昼までに少し時間があったので、おかみさんの車に乗せてもらいました。
この車で逃げたの、と。

新地 谷地小屋 というところ

このあたりは住宅が密集していて、海はみえなかったそうです。

おかみさんのブログにあった、地震からひと月後の風景はもうありませんでした。
がれきの殆どは片付いています。

常磐線の新地駅 も この先のどこかにあったのです。
線路はこの道のようなところにあって、列車が駅にいたので、避難する道を遮断機が遮っていたのだとか。
ご主人は避難しないと言い張ったけれど、岩手出身のおかみさんは、『とにかく逃げないとと、主人に運転を頼んで一緒に逃げました』、

『遮断機の下に少し隙があって、そこをくぐって線路を渡ったの、
後ろに並んでいたダンプカーは、あとで津波に流されていたのを見ました。運転手の方が助かったかどうかはわからない』そうです。


旅館は土台を残すのみでした。
ここが玄関、

ここがお風呂、

ここが台所。

『地震が起きた時は居間にいたの。。。』


器やお皿はそれぞれ100枚づつあったけど、残骸の中から割れないで残っていたものを30枚集めて、避難所に持ち帰ったそうです。

地震のあとの津波で殆どのものが流されたけど、壊れた食器のかけらが家の周りの土の中にありました。

壊れて埋もれた食器を不思議な気持ちで眺めていました。
ここに確かに営みがあった、多くの人で賑わった旅館があって、わいわい楽しい宴会があって、おいしいお酒と料理が振る舞われたんだよ って、たくさんの器のかけらが教えてくれていました。


かろうじて残った朝日館の鉄筋も取り除かれていたけれど、電柱はどうして残っているのでしょう。




地盤沈下で海水が池をつくっていて、

美しい浜が海水浴場になっていたあたりの堤防は崩れたままです。


釣師浜の男たちは、みんな頑張って船を守ったのよ。
津波から船を守って、一所懸命沖に出て、船を守ったのよ。
でも、戻って見たら家は流されてなくなってた、
今度から船はいいから、家を守るって言ってるの。

海岸に何艘も係留してある船のことを、そう話してくださいました。

『船があっても、漁に出れない、放射能のせいだわ』。


私はまともにおかみさんの顔を見ることができませんでした。


仮設のみなさんがかつて暮らしていらしたこの土地は、公園になるのだそうです。
一週間に一度は海に行ってみるんですよ、
と、仮設で出会ったYさんがおっしゃっていました。
思い出さなくてもいいように、この土地に新しい植物が芽吹き、早く美しく生まれ変わりますように。


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by yumiyane | 2012-04-26 01:26 | 世の中(real world) | Trackback | Comments(20)
2011年 11月 08日
防災訓練
スカイツリーがこんな風に見える

錦糸町と押上のちょうど真ん中くらいにある、本所消防署に防災訓練に行ってきました。

何故墨田区まで出かけて行ったのかというと、適当な訓練をしてくれるところが見つからなかったからです。

墨田区の本所消防署、なかなか優秀です。

まず10時半から25分くらいの映画を観ます。
東京に直下型地震が起きて、でも防災訓練をしていた人たちは、なんとか生き伸びます。
日ごろから、災害について、いろいろ準備をしておくことがどんなに大切か、ということです。

そのあと、いくつかの班に分けられて、インストラクターの方がたに教わります。

私は、会社の同僚二人と参加しました。


まず、建物の中で起きた火災の煙から逃げる方法。
非常灯の見方、逃げ道を見つける方法を教わります。
腰を低くし、ハンカチで口を押さえ、指を曲げて手の腹で壁をつたって迷路のような建物の中を逃げます。
下半身を鍛えておかないといけません。


次に、地震です。
各地で起こった地震の説明を受けたあと、震度7を体験させてもらいました。

揺れが起きたら、大きな声で 地震だあ! 
と叫んで、座布団を頭にテーブルの下に、足(テーブルの)を抱えてもぐるように教えられました。
ところがところが、
もぐった途端、激しい揺れに身体がはじかれ、身体の向きを変えることもできません。
地面に付いた腰は、激しくゆすられ、痛い。
それでも必死でテーブルを捕まえます。
揺れる、と分かっていて、どうしたらいいか分かっていても、何もすることができませんでした。

そのあと、これから日本で起きる地震の可能性を表した図を見せられ、
2007年に発表された、30年以内に起きる地震の確率・宮城沖地震99%、東海沖87%、という数字は
実際宮城沖地震が実際発生したので、今は確率について、白紙状態になっているそうです。

その図です。
黄色い部分についての説明が、読み取りにくいですが、、、これはかなり怖いことです。
薄い黄色のところ:特定観測地域
地震発生の中長期的な見通しとして近い将来地震の起こる可能性が他より高いと考えられる地域
とあります。
黄色い濃い部分:観測強化地域
なんらかの異変が観測され(あと読めません調べます)

この黄色い部分に、いくつかの原発があること、分かりますか?
島根の鹿島原発も、愛媛の伊方原発、建設計画中の上関も、新潟も。
ほんとに地震列島ニッポンなんですね。

そんな怖~い思いをしたあとは、消火です。
消火器の正しい使い方。
栓を抜いて、標的を定めて、噴射する。炎を狙うのではなく、火の元を断つのです。
ここでも 大声で
火事だあ~! と叫びます。

とにかく、何かあったら 大声で叫ぶ ことがとっても大切なことなんだそうです。


そのあとは、人命救助。

倒れた人を見つけたらどうするか。
周りの安全を確認して駆け寄る。
ここでも大声で人を呼ぶ。誰かに救急車を呼んでもらう、AEDを探してもらう、分担が大切です。
頭に手を当て、耳で息を確認し、大声で呼びかける。
名前が分かったら名前を呼び、肩をたたいて反応を見る。
それからそれから、、、、、。

大変勉強になりました。

そして、AEDの使い方。


終わったのが12時25分。

大変大変勉強になりました。
今日はほんのさわりだけ、ということ。
でもほんとに行って良かったです。


みなさんも、機会があれば是非体験なさるといいと思います。




by yumiyane | 2011-11-08 23:02 | 世の中(real world) | Trackback | Comments(8)
2011年 11月 05日
喉元過ぎても忘れない
黄砂が東京の空まで覆った今日、新宿のカタログハウス本社まで出かけました。

友人に誘われて、3本の映画を観るためです。

カタログハウス本社では、猫くんたちがお迎えしてくれるのですね。


「原子力発電の夜明け」
監督:森田実 東京シネマ作品(1966年・43分)
第一銀行提供の、東海村に初めて原子力発電所を作ることになり、建設が進み、最初の火が入るまでの
原発のインフォマーシャル的な映画です。

「原発切抜貼」
監督:土本典昭(1982年・45分)
語り:小沢昭一
監督自身が、数十年に渡り集めた、原発に関する新聞のスクラップで構成された映画。
新聞のスクラップだけで、こんなに興味深い映画になるのかと、驚き。

「あしたが消える―どうして原発?―」
監督:平形則安(1989年・55分)
原子力発電所で働いていた父親が、52歳で骨ガンで死んだことに疑問を持った主婦の投稿を元に作られた映画。


最初に見た「原子力発電の夜明け」。
非常に参考になりました。原子力発電が日本に何故根付いたのか。
そして、今だ原発が捨てられない男どものことも、少し分かるような、、、。
日本の技術を結集した、技術者の夢とロマンの物語。
あれが原発でなければ、どんなに良かったことか。
そして
原発はエネルギー政策ではなく、あれがビジネスである、ということ。
この映画を作るのに、銀行がお金を出しているということ。

2本目のドキュメンタリー「原発切抜貼」。
広島・長崎に落とされた原爆の記事から、日本に作られる原発、そしてスリーマイル島の事故からチェリノブイリの事故まで。
新聞に語られる嘘と事実。
笑ってしまいます。

3本目の映画は泣きます。
何故泣けるかと言うと、そこに紛れもない真実があるからです。

仙台に住む葛西さんは、原発で働く父が、骨ガンで死んだことについて、会社が何の責任も持たないことに不信感を持ち、原子力発電所そのものへ疑問を持ち始めます。
絶対安全だと言い続けていた父があっけなく死んでしまいました。
何故父は死ななければならなかったのかという疑問は、いろんな人の証言によって原発への警鐘を鳴らしていくのです。
彼女は言います、
贅沢に電気を使う都会の人は、その電気を生む過程でどれだけの犠牲があるか、知っていて欲しい、と。
これが22年前の映画である、ということにも愕然とします。

その証言のひとつ、福島第一原発所の設計者の貴重な談話があります。


映画の最後には、
福島の原発で事故が起これば、日本中がチェリノブイリと同じ状況になる、と予言しています。

この映像を一人でも多くの方に観ていただいて、原発の無意味さをみなさんに知っていただきたいです。



More
neu ノイ というオーストリア観光局の機関誌より

毎月送っていただく、オーストリア観光局からのおたよりに、興味深い記事がありましたので、転載させていただきます。

脱原発の一大モニュメント
オーストリアにとっては過去の遺物であっても、日本人にとって最も新しい関心の的になるものがある。そんなシンボルが、ウィーンの北西約50kmにあるツヴェンテンドルフ原子力発電所だ。この原発は世界史における重要な遺産であり、他に類を見ないユニークなモニュメントである。なにしろ巨費を投じて完成させながら、ついに一度も稼働することがなかった世界唯一の原子炉なのだ。
――中略――
しかし、議会を支配していたオーストリア社会党の党首ブルーノ・クライスキーは、やがて小さな抵抗に手を焼くようになる。核廃棄物をアルプスの地中深くに埋めようと画策したが現地の村々に拒否され、受け入れ先の候補だったハンガリー、エジプト、中国にも断られた。そして原発の試運転を目前に控えた1977年、フォアアールベルク州の9人の女性が立ち上がる。それぞれが子を持つ母親でもある彼女たちは、原発の試運転を阻止しようと首相公邸前でハンガーストライキを敢行し、原発の是非をめぐって世論が二分するようになった。
市民が選んだ未来
安全か発展か。クライスキー首相は、国民投票によって国民の信任を証明し、堂々とツヴェンテンドルフ原発を稼働させようと考えた。与党社会党は、労働組合、産業界、商工会議所から盤石の支援を受けている。原発推進派の優位は明らかであるように見えた。
1978年11月5日。この日の国民投票は、永遠に人類の歴史に残る激戦となった。ツヴェンテンドルフ原発の稼働に反対したのは1,606,308人。過半数をかろうじて上回る50.47%の得票だった。
―――中略―――
翌年にスリーマイル島原発事故が起きたのも、歴史のいたずらであろう。その後1999年には、核兵器の製造、保有、実験、輸送、さらには原子力発電所の建設と稼働も禁止され、オーストリアの反核の近いは不動のものとなった。


そして、この文のあと、

この建設はしたが、稼働されなかったツヴェンテンドルフ原子力発電所は、2005年から、所有する電力会社が原子炉をドイツの原子力技術用の研修施設として提供。稼働中の原発とは異なり、ここは被爆の恐れなく本物の原発に触れられるのが魅力、なのだそうです。

そして、ここがポイント

また、一昨年からは、原子炉のある施設で太陽光発電所が稼働し始めた。1000枚の光起電性パネルが外壁や屋根を覆い、クリーンで持続可能なエネルギーを供給している。

国際原子力機関IAEAの本部はウィーンにある、しかしこの国に原子力は存在しない。この英断は、ほんの紙一重で国民が選択したものだった。民主主義の社会では、市民の意見が政治の流れを大きく変え、望ましい未来を創ることができる。



日本の民主主義はまだ大人になれてないんだなあ。

by yumiyane | 2011-11-05 23:23 | 世の中(real world) | Trackback | Comments(6)
2011年 10月 13日
原発とメディア
8月6日のブログ記事で、
東京新聞が脱原発にシフトしたことをお伝えしました。
それ以来、東京新聞では、一面から脱原発に関する記事を毎日載せています。
あの山本太郎さんも、購読新聞を東京新聞に変えたとツィッターで書いていました。

そうするととても安心して新聞が読めますが、一方、他の新聞はどうなのかしら?
と同時に不安にもなります。
私はこうして東京新聞を読んで、ふむふむと納得しながら、さよなら原発の署名を集めているのですが、世の中の人は、それほど緊迫したものを感じてはいないか、とも。
何故かといえば、署名を拒む人がいることも確かなのです。

GALAC という雑誌があります。
放送批評懇談会というNPO法人が出している月刊誌です。
11月号の特集が「原発とメディア」。

3.11以降、メディアは正しく真実を報道してきたか、ということについての検証がなされています。

「逃げたメディアに代わり自ら発信する」と題して、南相馬市長のインタビュー。

原発事故のあと、日本のメディアは誰も来なくなり、南相馬出身の誰かが、状況をカメラに向かって言いたいことを言ってください、との申し入れに、可能な限り国内外に知らせたいという気持ちで話したのがYoutubeで流れ、アメリカタイム誌の、世界で最も影響力のある100人に選ばれたのですね。

もうひとつ
あんぐり、としたこと。
「有力スポンサー・株主としての電力業界」 との見出し
電力関連の広告費が、トヨタと並ぶ、というのです。
地域独占なのに、巨額の広告費が必要なのか? と河野太郎さんのブログに問題提起されているということ。

また、
電力会社が主要株主・番組審議会委員となっている民放一覧
とあって、

日本中のほとんどの地域のテレビ局・ラジオ局に、各地の電力会社が関与しているのです。
たとえば島根は
山陰中央テレビに、中国電力島根支社長が番組審議副委員長
エフエム山陰は、中国電力が4%の株を取得し、中国電力社員が番組審議委員。

福岡放送なんて、19.7%の株を九州電力が保有しているのです。
ほぼ全国同じ状況、番組審議委員を電力会社の誰かがやっているのですね。

ここまでとは思いませんでした。

日本テレビの創設者であり、読売新聞社主であった正力松太郎氏は、初代の原子力委員長であり、原発推進に動いた人なんだと。

ああ、もうどうしようもないなあ、って、メディアと電力会社の結託。


そんな中、
あるツイッターから見つけた、柔らかいけれど芯の強い石川県の女性の抵抗を見て、
じわじわと、粘り強く、この原発の問題に取り組まなければならないんだな、と知りました。

加賀友禅の作家として石川県七尾市で、4人の子育てをしていた彼女は、
チェリノブイリの原発事故が起きたとき、近くに志賀原発の建設計画があるのを知り、反対運動に関与します。

金沢地裁での“志賀原発差し止め訴訟”の意見陳述人として法廷に立ち、母親の気持ちを訴え、いっときは
裁判長から“原発は運転してはならない”との判決が出たにも拘わらず、
最高裁で逆転判決、棄却され、大きな壁を崩すことの難しさを、身をもって感じた、、、、という方です。

福島の事故を目の当たりにして、自費出版で出された本を、今日手にしました。

仕事に行き詰った時、数えきれない失敗をしたとき
情けなくて恥ずかしくて、そんなとき、裏山を歩いて

・・・・うつむいている私の周りに、そよぐ風、足元の草花、香る樹々、鳥の声、陽の光、・・・・

そういうものに包まれると力を与えてもらえた、
子どもたちにも、そういう力を持って欲しい、との思いで出版なさったということ。

ここにすごく共感しました。

きっと、きっと


みなさんもきっとお分かりになると思います。





さよなら原発
みんなで決めよう原発国民投票

by yumiyane | 2011-10-13 01:27 | 世の中(real world) | Trackback | Comments(12)
2011年 05月 07日
防災ということ
今朝の新聞の一面の見出しは
浜岡原発 全面停止へ でした。
菅首相の英断を評価します。

この私たちの暮らす日本列島。
たとえば 5月6日付けの、気象庁の地震情報では、マグニチュード3以上の地震がなんと36回もあるのですよ。
東京都港区、渋谷区と世田谷区で行動していた私には、身体に感じることはありませんでしたが。
たとえば0時4分に岩手県沖M5.9、2時9分に福島県いわき市を震源M5.3、これでいわき市では震度5弱を観測。
東北だけかと思いきや、8時26分には沖縄でM5.4。


先日来会社では、防災対策を進めています。そこで配られたのが非常用袋。
各部長、各部デスクの女性に配布されました。

中には

社員全員にはこの半分の内容の物がこれから配られる予定。

会社用に作られたサバイバルカードには、さまざまなことが書かれています。
災害が起きた時の対処法、
緊急連絡先メールアドレス、
171の電話のかけかた、などなど。
このカードは以前からあって、小さく折りたたんで手帳に挟んであります。

それから、
総務の女性に読んでおいてください、と渡された本。

阪神淡路大震災で被災された167人の方に、アンケートやヒアリングを行って構成されたものです。
この本を読むのは怖いです。
でも読み終わるころには、備えあれば憂いなし、とはこういうことを言うのだと分かります。
そして、災害にあったときに一番救われたことは人とのつながりだったということ。


2008年、自衛隊は「みちのくALERT2008」と呼ばれる大々的な訓練を行いました。
政府の地震調査研究推進本部から出された、今後30年以内に発生する地震を、
宮城県沖99%、としたことを受けて行われたものだそうです。

今回、防災グッズを購入するにあたって参考にしたパンフレットにもこのことが書かれていました。
宮城県沖99%
東海沖89%
いつ発行されたものかと裏面を見ると、2011年1月となっています。

浜岡原発の全面停止。
島根も福井も、続いて欲しいです。
昨日出雲から上京してきた友人が、東京の夜は出雲より暗い!と驚いていました。
私たちは、もうこの暗さには慣れていて、むしろ先日の京都の夜の明るさの方が怖いです。


代替えエネルギーの確立・推進は、まず原発に頼らないところから始めるべきだと思うのです。



by yumiyane | 2011-05-07 10:03 | 世の中(real world) | Trackback | Comments(24)
2011年 04月 19日
みんな素敵
いつか同じセントポーリアの写真を載せた時、その花は白かった。
あれは去年の10月。
春になると白かったセントポーリアの花も、ピンクになるの??


NJに住んでいる友達が、
NYタイムズの日本の記事を毎日見て、胸が痛くなったり、日本人って本当に素晴らしい国民なんだな、と思ってみたり・・・・
今まで「こちらに永住してしまおうかな」なんて考えたりしたけれど、地震以来「やっぱり祖国は日本だ!」を自覚するようになりました、、、、
とメールを送ってくれました。

遠くに暮らす友達が、
ブログの友達も、
みな一様に、日本人であることの誇りを持ち続けてくれています。

イギリスでもフランスでも、スペインでもイタリアでも、みんな一所懸命チャリティで日本への応援を続けてくださっています。
みんな素敵!



アメリカのロイターのある記者が、
Don't donate money to Japan
という記事を3月14日に書きました。
主旨は、日本は金持ちの国だから、日本に直接お金を送る必要は無くて、いくつかのファンドに送ったほうがいい、そうすれば、世界中のいろんな困っているところに必要に応じて送られるから、というものでした。
世界中で行動する国境なき医師団に寄付すべきだ、とも。

それに対して
良く言った! と言う人と なんてこと言うの、日本の現実をあなたはちっとも分かってない!と言う人と居ます。残りは、寄付するならこっちに、みたいなものも。

また、NJの友達がメールに添付してきたアドレスには、
日本の被災地のいくつかが、
Before After と題されて スリットひとつを動かすことによって、
被災前の美しい景観が、スライド式に現状の写真に変わる、というものがありました。

この大震災への、世界の暖かい手のぬくもりのほかに
バッシングや批判や差別、といったものにも、直接間接で触れている
そんな中、日本の被災地の方々のためにと頑張っている皆さんのこと、
ほんとに誇りに思います。


みんな素敵だ!



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by yumiyane | 2011-04-19 22:59 | 世の中(real world) | Trackback | Comments(6)
2011年 04月 06日
Google の地図
気仙沼市本吉町の姪の親戚の安否を探して、Googleの地図を、震災発生後何べんも何べんも見ました。
仙台よりもっと岩手寄りのところにその町はありました。
陸前高田はさらに北にありました。
そんな位置関係も頭に入っていて、
今日、志津川地区を探そうとして
またGoogleマップを見て、愕然としました。

写真が入れ換わっているのです。

津波の被害にあった地区、水没してしまった地区には、
水の上に、むなしく道路のラインや、そこにあった集落の名前や、施設の場所が重なって残っています。

福島第一原子力発電所の画像も、事故発生後の写真に変わっていました。

確かにGoogleの地図は年に何度か更新されているのは分かりました。
しかし、この時期、この悲惨な現状がこうもまざまざと写されているとは。
これは世界中の人が見てとれます。
一目瞭然といえばそうですが、これはあまりに悲しい。

あまりに悲しい 現実です。


もう一度、私たちは何をしなければならないか、考えます。













by yumiyane | 2011-04-06 01:26 | 世の中(real world) | Trackback | Comments(6)
2011年 01月 12日
Japanese technology
JAPAN TECHNOLOGY
ユニクロのヒートテックのパッケージに書いてあります。

これを外国の人にお土産にするとき、ちょっと誇らしい気持ちになります。
どうだ~凄いだろう~! って。


最近出会ったこの食べ物にも、Japanese technology をすごーく感じます。

フリーズドライ食品、
これは、宇宙食としても開発されていて、毛利さん、若田さん、野口さんそれぞれいろんなフリーズドライ食品を宇宙に持っていって食していらっしゃるようです。
スペース・ラムと呼ばれる宇宙ラーメンは、日清食品によって開発されたもの。
土井さんは天麩羅そばに挑戦なさったようです。いずれも日清食品。頑張ってますね。


こちらは、宇宙食ではありません。昨日今日、会社のお昼や、休日のランチに私が食べているもの。
最初に出会ったのはついひと月前のこと、 
『姉が好きでたくさん買ったので』
と編み物教室の生徒さんからいただきました。

半信半疑で、もらってから数日経って、会社のランチで頂きました。
いやあもうびっくり!
それはグリーンカレーでした。

これは野菜カレー


袋を開けると、こんな四角い塊が、でもすごく軽いです。

これを器に入れて、定められた量の熱湯をかけて混ぜるだけ。


今日のは親子どんぶりです。


ご飯の盛りかたがへただったので、おいしさが写真で伝わりにくいですが、
↑の塊から、こんなささみ鶏肉が出てくるとは誰が予想したでしょう。

物によって必要なお湯の量が異なるので注意してください。

とにかく、グリーンカレー一袋をいただいた私は、早速その日にネットで購入。
ひとつを会社の同僚で、いつも何かしら頂く人に差し上げましたところ、
次の日には彼女は3種類くらいのものを10個単位で購入。

この日曜日、姪にこの話をしたところ、話だけで姪はネットで購入。

いやあ、口コミってこういうことなんですね。

ジャパン・テクノロジー、
世界に誇れる技術、売れますよ。
技術だけならともかく、おいしいんです。

ベトナムにフォーとか、中国は水餃子、韓国はスンドゥプ、インドは勿論カレーでしょ。


by yumiyane | 2011-01-12 23:30 | 世の中(real world) | Trackback | Comments(28)
2010年 08月 31日
形あるもの ハナエモリビル
初めて表参道を意識したのは、この建物でした。

赤坂に会社があるころは駒場に住んでいたので、車でよくこの参道を通りました。

昨年の9月4日、取り壊すことになって、ビルの閉鎖式が行われていました。
中央の白いジャケットの女性が 森 英恵さんです。

その後、オフィスが表参道に移って、このビルの裏側になったので、よく来ました。
そのころは、確か3階に「パピヨン」というレストランがあって、おいしかったのでよくランチに使いました。そこで焼かれていたパン・シャンピニヨンを、1階のチョコレート屋さんで売っていたので、このパンもよく買いました。DONQのよりおいしかったのです。

そのころのチョコレートはGODIVAでしたが、その後メゾン・ド・ショコラに変わりました。
そこで店員をしていらした方とお友達になって、お嬢さんが島根の松江の方と結婚なさったとかで、私の故郷の話で盛り上がりました。
新しいチョコが来ると、いつもひとかけ下さいました。

1階の入り口には「花水木」というカフェがあって、訳ありの打ち合わせをするため、わざわざここまで来ることもありました。
1階の左側には、三菱東京UFJ銀行があって、お給料はこの銀行に振り込まれるので何度来たか知れません。右にはCityBankもあって、外貨預金を考えたときに相談に来ました。右の端にあったお花やさんはとってもセンスが良かったです。

いろんな思い出のあるビルですが、今日のビルは

取り壊されることになったのは、耐震構造になっていないから、ということです。

丹下健三氏設計の、ランドマークな建物も、保存はNOでした。

形あるものは いつかは壊れる、けれど、なにかひとつの時代が終わって行く寂しさを感じるのは私だけではなかったように、道行く人がこの光景に立ち止まっていました。

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by yumiyane | 2010-08-31 23:45 | 世の中(real world) | Trackback | Comments(10)
2010年 08月 22日
都会の花火
日曜日土曜日、川崎市と世田谷区の花火大会が、去年に引き続き同じ日に開催されました。


河原に行って見ることはそれは臨場感あふれることです。
十数年前、出雲に流れる斐伊川の花火大会で、河原に寝転がって火の粉が降るようなところで見たことがありました。あれは良かった。あの花火が一番かな。

東京では、二子玉川の花火を2度河原で観ました。
臨場感はありますが、人の多さと、帰りの電車に乗れないので懲りました。


今回は、すこし迫力には欠けますが、住まいの集合住宅の屋上から眺めました。

右に見える建物は、用賀タワー。正しく言うと 世田谷ビジネススクエア。28階建です。

地球が丸いうえに、二子玉川への道は坂を下るので、3km弱しか離れていないけど、低いです。

少し視線を左に移すと、川崎市の花火が上がります。
こちらは、大玉より、どちらかというと小ぶりを数でこなす感じでしたが、とってもきいれな色のがたくさんありました。

7時から始まって8時丁度まで、両方の花火を、近所の大学生がたくさん集まって、あーだこーだ言いながら楽しんだ花火見物でした。
最後の5分のクライマックスは、圧巻でした。


ああ、これで行事的には夏が終わるんだけどなあ。
今年の残暑ってやつは、、、。






by yumiyane | 2010-08-22 22:05 | 世の中(real world) | Trackback | Comments(10)