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カテゴリ:Kidney(腎臓)( 14 )


2010年 07月 26日

恩師の訃報

東京女子医大の名誉教授 太田和夫先生が亡くなられたと新聞の訃報欄で知りました。

腎臓移植が必要と聞かされた時、先生の著書を何度も読み返したことを思い出します。


直接お話しする機会はあまりありませんでしたが、
教授回診のときに何度か診ていただきました。
小柄な先生でしたが、15,6人の医師を引き連れて病室を移動する姿は貫禄がありました。

先生のお作りになった、女子医大の腎臓移植チームは、私たちが手術を受けたころは順調でした。

私たち親子は、小児科の移植チームでしたが、もちろん太田先生の傘下でした。
川口先生、伊丹先生、永田先生、服部先生、甲能先生、のおかげで今があります。

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太田先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
有難うございました。



最近ご訪問いただいている方には、カテゴリのKidney(腎臓)をご覧いただけると嬉しく思います。

by yumiyane | 2010-07-26 22:24 | Kidney(腎臓) | Trackback | Comments(12)
2008年 10月 01日

あれから21年

今日は息子の誕生日。33歳になりました。
ということはあれから21年。


腎臓移植の手術をしたのが、小学校6年の誕生日でした。
あの当時、移植して23年もっている方がいます、という先生のお話に、それがひとつの目標でした。


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21年経って、そのあいだに、中学・高校に進学し、専門学校からイラストレーターを目指して、友達と合資会社を作り、3年前に結婚して、子供が一人生まれました。
先月、仕事内容は変わらない別の会社に就職して、サラリーマンになりました。



今日久しぶりに病院に行き、特に問題はないが少し痩せるようにと先生に言われたとか。
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「お母さん、2度生かしていただいてありがとう」 の電話がさきほど入りました。

家族のために、身体を大切に頑張って欲しいと思います。

by yumiyane | 2008-10-01 23:07 | Kidney(腎臓) | Trackback | Comments(6)
2008年 07月 01日

News

移植された臓器への拒絶反応を抑える新手法での腎移植手術を、東京女子医科大と順天堂大のグループが近く始める。免疫をつかさどるリンパ球の一種の「T細胞」に、特殊な処理を加えることで可能にした。患者は手術直後以外は免疫抑制剤を飲まずにすみ、副作用を避けられる。長期的な成功率も高まると期待される。(asahi.comより)

という記事が昨日の夕刊や、今日の朝刊に掲載されました。

この研究を行なっているのが、東京女子医大の寺岡先生と順天堂大の奥村教授とのこと。
寺岡先生は、息子に移植手術を行なった1987年より以前から、臓器移植に取り組んでいらして、私も励まされたことがありました。息子の担当だった服部先生は、この寺岡先生に憧れて女子医大に来たと話していらっしゃいました。
東京女子医大が、心臓外科の医療ミスで、特定病院の資格をはずされたときにはとても心が痛みました。いつも8台ベッドのあった大部屋に4台のベッドしか置いてないこともありました。
しかし、この特定病院の資格をはずされたことで、女子医大は根本的な医療の見直しに努力したと聞きます。

先日臓器移植の、国からの補助制度が減額されたときに、寺岡先生の悲痛な叫びが新聞で語られたとき、広く臓器移植のことをみなさんに知っていただきたくて、息子と私の移植の記録をブログに書き始めたわけです。

幸い、息子の場合は、何が良かったのか、7-8年前から免疫抑制剤の服薬は全く行っておらず、20年前の手術以降、一度の拒絶反応もでておりません。
これは本当にまれなケースだということで、私も深く感謝しております。

T細胞とは、リンパの中に多く含まれている細胞だとか。リンパであることは、拒絶反応に大きく関わるもの、この細胞を、臓器をもらう人の細胞と合致させ、自分が誰の細胞か分からなくすることで、移植された臓器を自分のもの、と思い込むことによって拒絶反応を抑えることになるのだそうです。

医学の進歩は日進月歩。先へ行けばいくほど、画期的な施術があるだろうけれど、
人は今日を生きています。
今に一番いい方法を選択する幅が広がることを、心から願っています。

by yumiyane | 2008-07-01 10:43 | Kidney(腎臓) | Trackback | Comments(8)
2008年 06月 05日

album事件

二つの腎臓の摘出手術のため入院していたとき、クラスのみんなから寄せ書きをいただいたので、外出許可をもらって学校に行きました。

そのとき、みんなの前に立って、「ありがとう」と挨拶をした息子に、担任だった稲葉先生は言いました。

「みんなに、お腹の傷を見せてあげて」 と。

息子はシャツをたくしあげ、両方のわき腹に出来た線路のような傷跡を友達に見せました。

お友達の 「わあー」 「凄ーい!」 「痛そー」 という声。
先生 「凄いでしょー、○○くんはこんな手術に耐えたんだよー!」 って。

生来楽天的な性格もありましたが、このおかげで、息子はただの一度も、友達からは“いじめ”というものに合わなくて済みました。

                   2歳の息子
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アルバム事件は卒業式の日に分かりました。
小学校の卒業アルバムの集合写真に、息子の顔も名前もなかったのです。この写真は、入院中だった秋に撮られたためですが、普通なら欠席の生徒は右上とか左上とかにで載せるものだと認識していたので、私は息子を慰める言葉も失いました。

夏に担任だった先生は結婚退職で、ほかの先生に代わっていました。
卒業時の先生のおっしゃるには、2週間後の生徒たちの謝恩会に、訂正したページを全員にお渡ししますので、申し訳ありません、ということでした。実は顔も名前も載っていない子が同じクラスにもう一人いたのです。

その2週間後の会にもその訂正されたアルバムのページは手渡されませんでした。

そんなとき、みなさんはどうしますか?

私は、校長先生にきちんと説明をいただきたいと思い電話をかけました。
しかし、当時の校長は、他校に転勤になり、卒業時の先生も他校へ、いったい誰がこのことを引き継いで下さっているのか、???の私は「それなら教頭先生に」 とやっと顛末をお話することができました。

しかし、夜自宅にかかってきた電話は、学年主任の先生のお叱りの言葉だったのです。
「何故おかあさんは教頭に電話なさったのですか?、もうちょっと僕たちのことを信用してくださっても良かったのではないですか」 ?????何を信用すれば良かったのでしょうか。

小学校時代は、いかに他のみんなと同じ生活を送れるかを先生と交渉することの連続でした。
なんとかうまくやってこれた、と思ったのは私だけだったようです。これまでのことがすべて帳消しになったような、そんな悲しい締めくくりでした。

Moreしかし、息子は こう書いています

by yumiyane | 2008-06-05 00:55 | Kidney(腎臓) | Trackback | Comments(6)
2008年 05月 15日

腎臓移植の記録

息子に腎臓を移植する手術をしたのが1987年の10月1日でした。
入院しているときに、日記のようなものを書いたものがあります。
今日はその一部を、手術後2日たった10月3日のものです。

10月3日(土)
さあ今日は歩くぞ!
朝ナースに導尿管を抜いてもらう。こうするとベッドで排尿できない私は、いやでもトイレまで歩かなければならないのだ。
手伝ってもらってやっとの思いで起き上がる。呼吸が苦しい。血の気が引くのがわかる。
あー肺って息をするためにあったんだなあ。
麻酔で休止していた肺胞がしめつけられた感じで、働いてくれない。少しづつ、そう少しづつ広げていけばいいんだ。
10分ほどじっとしていると落ち着いたので、ナースの肩と、点滴の棒につかまって立ち上がる。
マスクをつけて息子の部屋に行き、ベッドに近づく。感激の対面だ。
そのとき息子の言った言葉、「あーお母さん大丈夫?本当にありがとうね」と。
胸がつまったうえに、肺が苦しくて声がだせない。黙って手を握り返すだけだ-----後略。


そして、それからさらに5日後のもの

10月8日(木)
息子が歩いた!
午前中お腹に通っていた管がはずされた。ドレーンを抜くのを見ていたが、はさみでチョン切って、浣腸器のような注射器をドレーンに差して、引っ張りながら抜くと中身がよく出るそうで、やはり血の塊がミミズのようにニョロっと出てくる。それを試験管に入れて検査に出す。ばい菌が繁殖していないか調べる為だ。ドレーンを抜いた穴にはガーゼを詰めてまだ浸出してくる液を吸収する。
息子の足は棒のようになっていてすぐに歩くのは無理だと言われていた。もらった腎臓を植えた方の足は、無意識のうちに曲げて潰すといけないので、ひもでベッドにしばられていた為だ。
午後4時ごろ、私のベッドのある663号室に、マスクをかけた息子が顔を出した。
部屋中に歓声が上がった。私も思わずベッドを駆け降りて息子の頭をなでた。
ナースステーションまで二人で行って、歩けたことの報告をする。
看護婦さんたちはもう珍しくもないだろうのに、驚いて励まして下さる。
部屋に戻ってくるころは、足がぶるぶる震えているが、しばらくするともう慣れたらしくスタスタと歩いてきた。マスクを忘れてはいけないよ。
拒絶反応を押さえる、免疫抑制剤は、外界のばい菌に弱い体を作るので、健康な人と会うときもしばらくはマスクが欠かせないのだ------後略


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写真は、663号室を手術後初めて訪ねてきた息子と。

by yumiyane | 2008-05-15 00:14 | Kidney(腎臓) | Trackback | Comments(4)
2008年 04月 29日

移植のドナー

息子が小学校6年の10月1日、12歳の誕生日に腎臓移植の手術を行うことになりました。

                        写真は10歳の運動会、親友の白石君と
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臓器をあげる人をドナー、もらう人をレシピエントと言います。
マッチテストで、母親との相性はまあまあと出ました。
そのため私の腎臓の検査がありました。どちらの腎臓をどのように摘出するかを決めるためです。どちらかといえば丈夫な方をドナーに残すのだそうです。

腎臓の検査は、造影剤を身体に注入して、CTでその流れを写すのですね。
検査が終わって、身体に入った造影剤をすばやく体外に出すために、大量の水分(3ℓ以上)を摂らなければなりませんでした。
実は検査そのものより、このことの方が大変でした。
太ももの付け根の動脈から造影剤を入れたため、検査後絶対安静だったのです。
結局導尿してもらって大量の水分を身体から出すことが出来ました。

移植手術は東京女子医大でやっていただきました。
息子の担当医は服部先生、私は泌尿器科の中島先生でした。中島先生は中島みゆきさんのおにいさん。そういえば似ていました。

手術は問題なく終わりました。
ICUに運ばれた私は、意識朦朧の中で、呼吸の訓練をされました。
腰がいたくて10分おきに看護婦さんを呼んで体の位置を変えてもらいました。
腰が痛いと思ったのは傷の痛みだったのです。
献身的な彼女の働きは、この人たちはすべて、私の身体のためになることをやってくれているんだと、おぼろげな意識の中で感謝の気持でいっぱいでした。

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by yumiyane | 2008-04-29 20:07 | Kidney(腎臓) | Trackback | Comments(4)
2008年 04月 20日

子供の病気 continue

移植という話は早いうちからありました。
小児は身体の成長を考えなければならず、腎臓の機能に、成長ホルモンの分泌に深く関わっているものがあるからだそうです。
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息子の腎臓の機能が低下して、透析という処置が必要になってから4年が経っていました。

私の考えは、小学校のうちは親が付いてまわっても、周りも本人もさほど気にならないけれど、中学生になると自我が目覚めてくるだろうから、そんな時期には親離れをさせてやりたい、というものでした。

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透析をすると、体から取り出す管に血液が付着して、それを回収するのに「ヘパリン製剤」が必要だということは以前書きました。
それでも100%は回収出来ないので、どうしても貧血が起こってきます。
輸血はできるだけ控えたい、でも赤血球もヘマトクリットも数値が落ちてきていました。

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それでは6年生のうちにやりましょう、ということになって、10月1日、息子の12回目の誕生日に手術日が決まりました。

息子の場合、腎臓の機能の不全のほかに、尿の逆流という問題がありましたので、移植の前に二つの腎臓を摘出することになりました。


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More息子の作文

by yumiyane | 2008-04-20 01:11 | Kidney(腎臓) | Trackback | Comments(2)
2008年 04月 15日

透析の事情

小学校4年になると、透析も2年経っていましたが、週2回を保っていました。
出雲のおじいちゃんのところへ7泊のお泊りも出来るようになりました。
金曜日に透析を受けるとその足で飛行場へ、火曜日に出雲の病院で透析を受け、また金曜日の透析に間に合うように東京に戻ります。

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あるとき、台風の影響で東京行きの飛行機が欠航になってしまいました。
急遽岡山まで汽車に乗り、新幹線に乗り換えて、夜の部に予約を変更してもらいやっと間に合ったことがありました。

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学校の行事には殆ど参加できるようになりました。
秋に、山中湖に1泊の遠足がありました。 
保護者が同伴するなら、ということで許可が下りました。同じ宿舎に泊ることは避けたかったので、「電話したら5分で駆けつけられるところ」という指定に、丁度会社の宿泊施設が湖の向かい側にあったので、もう一人同じような事情のお母さんと二人で、会社の宿舎に泊りました。

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週2回を保てたのは、食事制限を厳しくしていたからです。
給食はみんなと同じものを食べました、だから家では塩分とカロリーを調整していました。
低蛋白・高カロリーが腎臓の悪い人の食事指導でした。ダイエットの食事は高たんぱく低カロリーですから、その真反対です。
また、生野菜はカリウムが多く、果物も厳しく制限がありました。しかし成長の妨げになるのは考え物ということで、透析の最中にはなんでも食べて良しとの許可もありましたから、いちごやおみかんを食べる楽しみも見つけていました。

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ずっとあとになって栄養のことを学んだときに、たんぱく質はアミノ酸スコアーというのがあって、この数値が高いと消化するときに身体の中に老廃物を出しにくい、ということを知りました。
透析患者はこの老廃物がろ過されにくいので、低蛋白食をと言われるのです。

このころそのことを知っていたら、アミノ酸スコアの高い、良質のたんぱく質をたくさん食べさせて、もっといい状態で身体を成長させることが出来たのになあと思いました。

More ドラゴンフライカフェ

by yumiyane | 2008-04-15 00:34 | Kidney(腎臓) | Trackback | Comments(0)
2008年 04月 11日

プール事件

小学2年の夏は、プールはおろか体育の授業は殆ど見学で過ごしました。
3年になると、週2回の透析の生活にも慣れて、活動範囲が広がりました。
「ボクもプールに入りたい!」
と嬉しい言葉を聞いたので、さっそく学校の先生にお伺いをたてました。

すると信じられない返事が、 「お母さんも水着になって一緒に入られるのなら」 と。

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そんな特別扱いではなく、普通の学校生活がどこまでみんなと一緒に出来るか、そこを目指していたので、念書でもなんでも書きますから、水に入る時間を制限していただいていいですから、とお願いしました。


やっと許可がおりて、プールの準備をして送り出そうとした朝、
「やっぱり入りたくない!」 と、あの苦労はナニ?と思いながらも、励まして送り出しました。

ちゃんと学校に行ったかしら?どこかに寄り道していないかしら?
心配だったので、出勤する道すがら学校を覗きに行きました。

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そこには、プールでみんなと楽しそうに水をかけあっている息子がいました。


ふうーっ

by yumiyane | 2008-04-11 00:40 | Kidney(腎臓) | Trackback | Comments(2)
2008年 04月 10日

学校生活

退院した息子は学校へ戻りました。
腎臓病を抱えた子供の学校生活における制限、ここまではいいけどこれはだめ、というような表があります。
学校の先生の個人判断では問題が起きたときに対処できないためでしょう。
遠足はどこまで行けるか、課外活動はやってもいいのか、プールは、球技はしてもいいのか。

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息子は週2回の透析の日以外は、元気に学校に通い、母は働いていましたので放課後は学童館で過ごしました。
学童館の先生には受け入れていただいて大変感謝しています。



仕事場から帰宅し、車で学校に迎えに行き、病院へ。そこから仕事場へ戻り、夜病院に迎えに行く。週2回でしたが、今思い出してもそれほど大変なことではありませんでした。

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大変だったのは、いかに他の子供たちと同じ学校生活を送れるか、を先生たちと交渉することでした。

by yumiyane | 2008-04-10 01:31 | Kidney(腎臓) | Trackback | Comments(2)