にっと&かふぇ

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2010年 02月 24日

記憶

雪の国に住む友達は、中学1年からの幼馴染。
堀之内から湯沢に向かう車の中で、中学1年のクリスマス会の話になりました。

耳鼻科の開業医の次男に同級生がいて、そのお母さんにシチューの作り方を教わりました。
あれはクリームシチューだった、という友と
あれはビーフシチューだった、という私。

彼女はそれからたびたびクリームシチューを作ったから、絶対クリームだったわよ。

私は、お肉に塩・胡椒をしたあと、小麦粉を入れたビニール袋の中で振って粉をまぶすのを教えてもらった記憶があって、だからビーフシチューでしょ、と譲りません。

一緒にいた、もう一人の幼馴染に電話で聞いてみよう!
ということになって、広島県は福山市で薬局を営んでいる友に電話しました。

あんまり覚えてないけど、そう言われてみれば白かったような気がする!

と言われ、私はだんだん弱気になってきました。

確か、写真があったはずだから、探してあとで送るね、と言われ、夜東京に戻って、自宅のメールをチェックしたら、写真が届いていました。
記憶_d0117481_016591.jpg


やっぱり白い。

じゃ、私はどこでビニール袋に小麦粉を入れてまぶすやり方を教わったんだろう???

中学一年の私にもシチューを作るのは画期的なことで、あのお宅でお母さんからお料理を教わった、
というカルチャーショックは相当なものだったので、
後にどこかでそのやり方を覚えたときに、その鮮明な記憶と結びついてしまったのでしょうか。

記憶なんてあやふやなもので、
そんなあやふやなものを、経験と覚えてしまって、
当たり前のように語っていることがもしかしたらもっとあるかもしれない。
そう思うとなんていい加減な人生なんでしょう。
でも、それもこれもで今の私がいるんだからしょうがない、
これも人生、
って誰かのセリフですか。

by yumiyane | 2010-02-24 00:28 | 若かったころ | Trackback | Comments(8)
Commented by shinn-lily at 2010-02-24 12:05
記憶はたいしてあてにならないこともあるかもしれませんが、思い出を共通できる友がいるということが素敵なのですね。
私もyumiyaneさんと共有できる財産をもっともっと蓄えたいです。
Commented by yumiyane at 2010-02-24 19:10
:shinn-lilyさん、そうですね、ときどき記憶のあっちとこっちを都合よくつなげているんじゃないか、って思うときがあります。
思い出を語りながらつなぎ合わせるって、楽しかったりするけど、今回みたいにぞっとしたりすることもあります。
忘れないうちに思い出語ることもしませんとね。
Commented by kanafr at 2010-02-25 02:54
同じ時間を共有し同じ経験しても、記憶にとどめる事が人それぞれだから私も久しぶりに再会した友人と話していて“エーッ!そうだっけ?”って事もしばしばですし、今回のyumiyaneさんのように、後日なにかで自分の記憶違いがわかり落ち込む事もあったらり、自分が合っていたりすると、“ほーらね!”と妙に鼻の穴をふくらませたり..です。
ブログを始めてから、以前より頻繁になったyumiyaneさんとの交流をこれからも大事にして、共有できる思い出たくさん作りたいなあって思っています。
Commented by baby-sean at 2010-02-25 11:51
うわぁ。
記憶云々より、すごいなぁ、この写真。
いいなぁ。
クリスマス会って、すごいハイカラなパーティーだったんじゃないですか。
帽子とか、テーブルにならんでるクラッカーとか!
おにぎりの山も注目だなぁ。
クリスマスツリーが飾ってあったら、もっといいのになぁ。(と勝手なことを...)
青春の1ページ...みたいな。

で、もちろんこの中に、文学少女yumiちゃんにほのかに思いを寄せていた男の子がいたわけですよね。
...と勝手に想像をふくらませていたりするわけで...。
Commented by yumiyane at 2010-02-25 22:40
:kanafrさん、こんにちは。
kanaさんもそんなことありますか。よかった、私も鼻の穴ふくらまそ。
友達と話してると、自分ではすっかり忘れてること人は覚えていて、3人寄ればもっと違うことが思い出せて、おもしろいなあといつも思います。
結局自分に都合のいいことだけ覚えておけばいいんですよね。
Commented by yumiyane at 2010-02-25 22:44
:baby-seanさん、こんにちは。
今から40年以上前のことですよ。出雲の片田舎で、この集まりはかなり進んでいたかもしれませんね。ていうか、あのころ父もクリスマスになるとどこからかケーキを買ってきて、みんなでクラッカーとか鳴らしてました。
相当アメリカかぶれしてたかもしれません。
クリスマスツリーは、田舎ではうんと後になってからです。このころ、どこ見てもモミの木なんてありませんでした。杉は山のようにありましたけどね。あこがれましたよ、モミの木にオーナメント飾るのを。
いましたよ、この中に、誕生日になるとプレゼントくれた男の子。告白はしてくれませんでしたけどね。そんな時代でした。
Commented by irihinidefune at 2010-02-28 00:15
中学生でクリスマスパーティーとは
ほんと、おしゃまさんですねー
帽子にはちゃんと雪わたまでついてて
すごく凝ってます♪今のyumiyaneさんがおしゃれなのは
こういった幼少をすごされたから?

私たちの頃は、何やってたんだろうか…
部活に夢中でクリスマスの記憶がありませんー(笑)
数年前までは、中学の時の同級生とも年に一度集まってましたけど、いくつになっても、集まればたちまちあの頃に戻れるって
なんだかありがたいなぁって思います。
Commented by yumiyane at 2010-02-28 01:02
:irihinidefuneさん、こんにちは。
私は中学1年でしたが、ここの家のお兄ちゃんは高校生でしたから、男子は殆どお兄ちゃんのともだち。
お料理はお母さんが教えて下さりながら作ったし、きっと写真はお父さんが撮ってくださったから、家族ぐるみだったようです。
でもあの頃ですから、おしゃれですよね。お姉さんたちがすでに東京にいらしてたからもあります。うちも姉は3人すでに東京に行ってました。
部活は何をしてたんですか?私はブラスバンドに明け暮れてましたよ。
ほんとにそうですね。
あのころの思い出が共有できれば、新しいことが異なっても戻れますよね。故郷を離れた者にとっては、帰ると居てくれる友達はほんとにありがたいですよ。


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